2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の海岸線は,典型的なリアス式海岸で,現在,浦上港・勝浦港・宇久井港などの天然の良港があります。おまけに最近では,4月から9月にかけて盛んになるホエール=ウォッチングの基地としてもその名前を知られつつあります。 2008…
那智勝浦町の補陀洛山寺は,元来,千手堂とよばれていました。そこには平安時代中期(10世紀後半~11世紀前半)の二天立像(広目天立像・多聞天立像〈県指定文化財〉)と,平安時代後期(11世紀~12世紀)に制作された本尊の千手観音立像(国重要文化財)が安置され…
浜ノ宮王子社(熊野三所大神社)と補陀洛山寺は,那智山への入口であり,補陀洛渡海へのスタート地点でもありました。 1枚目の写真にある浜ノ宮王子社の本殿は,3間社流造・桧皮葺きの建物です。中世の形式を色濃く反映した社殿ですが,棟札によると,建立さ…
庭の樹木や草花にも,変化が見られるようになりました。 1枚目の写真は,真中下の色付き始めた2つの杏の実と,ちょっと傷みの見られる左側上の実を撮ったものです。 もう少し色付くともぎ取らなければいけませんね。でも実の生育にばらつきがあるので一挙…
この神像彫刻は,ヘレニズム時代のペルガモン(現在のベルガマ)都市遺跡から出土した,紀元前3世紀制作のヘルムアフロディテ神像です。 おやっと思いませんか。このヘルムアフロディテ神像,なんか変ですね。 ヘルムアフロディテは,ギリシア神話を代表する…
庭の樹木や草花も,そろそろ新しい季節に向かって動きはじめたようです。 やっと故障していたデジカメ(本当は故障しておらずこちらの扱いミスだったようで笑われてしまいました)が還ってきたので,またあちこち写してきます。 1枚目の写真は,たくさんある…
那智山青岸渡寺は,元来,如意輪観音堂とよばれていました。平安時代末期に第2代目熊野三山検校・行尊らによって観音霊場として喧伝された結果,西国三十三ケ所観音霊場第1番札所として有名になりました。 1枚目の写真にあげた本堂(国指定重要文化財)は大…
1枚目の写真にみられる現在の熊野那智大社の社殿は,江戸時代末期の嘉永4年から7年(1851~1854)にかけて建立されました。正面左端の第13殿・滝宮,第3殿・西御前,第2殿・中御前,第1殿・証誠殿,第4殿・若宮,そして第5殿~第12殿までの8社殿が直…
那智の奥には,平家落人や南朝ゆかりの様々な伝承や遺物で知られる色川地区があります。 1枚目の写真。色川の中心・大野には見事な棚田が展開しています。 2枚目の写真。大野の楞厳院(臨済宗妙心寺派)には,紙本墨刷りの大般若経が収蔵された応永8年(1401…
見難いかもしれませんが,杏の実,ここまで大きくなりました。 別の枝を見ますと,20個ぐらいになりそうです。 虫さえつかなければ,杏酒に使えそう。
1枚目の写真。那智勝浦町下和田にある大泰寺(臨済宗)の薬師堂(町指定文化財)は,入母屋造・瓦葺きの建物です。 建立年代を示す史料はありませんが,建築様式から見て室町時代中期に建立されたと考えられています。どちらかというと,禅宗様式の強い中世の仏…
かつて,トルコのイスタンブールを訪れた時,有名なイスタンブール考古学博物館で,歴史上のある有名人の名を持つ石棺を身近で観察してきました。 さて,この1枚目の写真に撮られた石棺主は誰でしょうか?? 「アレキサンダー大王」。 そう仰るだろうと思って…
那智勝浦町のJR下里駅近くに国史跡・下里古墳があります。 下里古墳は,すでに前方部が削り取られていたため,当初,円墳と考えられてきましたが,昭和47年(1972)の発掘調査により,4世紀後半に造営された全長40mの柄鏡形の前方後円墳(1枚目の写真)であ…
美術研究家・愛好者としての脇村義太郎氏旧所蔵品の中から,同じく佐伯祐三の『扉』という作品を紹介します。 この作品は,『工場』と同様,1928年の作品です。パリのリュ・カンパーニュ・プルミエールにある扉を描いたもので,現存しているそうです。 ここで…
和歌山県田辺市が生んだ経済学者・脇村義太郎氏が御逝去されてから既に11年がたちました。 脇村義太郎氏といっても知らない方も多かろうと思います。 その事績を羅列しますと,東京帝国大学経済学部を卒業。教授・経済学部長を歴任後,多くの日本政府関係機…
古座川町の明神橋から左に向かって古座川本流を進みますと、20分ほどで相瀬地区にある一枚岩(国指定天然記念物)に着きます。 1枚目の写真は,一枚岩の写真です。 一枚岩は,高さが100m、幅が500mもある巨岩です。熊野層群を貫いた弧状の大岩脈が地表に現…
JR串本駅から車で約15分で本州最南端の潮ノ岬に着く。串本は本州と潮ノ岬が砂州で陸繋島として繋がってつくられた町です。 潮ノ岬の先端に着くと、約10万㎡という望楼の芝生が見えます。そこから,潮ノ岬灯台が見える海に沈んでいく夕日を見ることができま…
串本町の大島へは、以前は巡航船かフェリーで串本港から行ったのですが、今はJR串本駅から、自動車で「くしもと大橋」を通って約20分ほどで行くことができます。 江戸時代の大島港は、江戸と大坂航路の風待港、もしくは避難港としてとして多くの菱垣廻船や…
熊野那智の滝は有名な一の滝を含めると48滝(実数は60滝以上)あるといわれていますが,あまり映像は知られていないと思いますので,ここでそのうち二の滝と三の滝を紹介します。 二の滝は高さが23mあります。「木葉返しの滝」とか,「如意輪の滝」(西行命名)…
内川隆志氏の著作『博物館資料の修復と製作』(雄山閣,2004年)を紹介します。 かなり前に氏からご恵贈いただいていたのですが,ここ2日話題になった仏像の修復問題でもう1度,読み返してみる気分になり,精読しています。 目次は次の通りです。 まえがき …
この阿弥陀如来立像は,和歌山県田辺市中辺路町温川(ぬるみがわ)にある西光寺本堂の阿弥陀堂に安置されている仏像です。 これまた昨日の仏像と同じく傷みが激しく見えますが,虫に食われているのは漆箔の部分だけで木材内部は足部を除いてあまり被害を受けて…
この阿弥陀如来坐像は,和歌山県田辺市中辺路町近露にある見松寺本堂の脇壇に安置されている仏像です。かなり傷みが激しいですが,田辺市文化財に指定されています。 中辺路の中間地点にあたる近露宿には,近露王子社が置かれ,平安時代末期(12世紀末期)には…
私達が新全国歴史散歩シリーズの一冊として1993年に発行した『新版和歌山県の歴史散歩』(山川出版社)もいよいよ絶版入りすることになりました。 そのかわり,全く新しい構想の下で,新しい『和歌山県の歴史散歩』が発刊されることになりました。 私も再び編…
性懲りもなく,2008年5月9日付けの『紀伊民報』の記事より。 いよいよ今月から,串本町の津荷や田原の海岸(旧古座町)で,漁師が2人で組んで行う「磯打ち網漁」が始まりました。 この「磯打ち網漁」という漁法は,産卵のために磯に近づくアオリイカを…
またまた,2008年5月8日付けの『紀伊民報』の記事より。 今月の5日,和歌山県田辺市稲成町の伊作田稲荷神社の境内で,農作業の様子を演じる恒例の「御田植神事」が開かれました。この神事は,田辺市の無形文化財に指定されています。 まず宮司が本殿で祝…
これは,和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の大泰寺本堂に安置されている南北朝期制作の地蔵菩薩坐像です。 像内に制作時期を知らせる貞和三年(1347)五月一日の銘文と,これを造立させた「願衆」を代表して「道山」「道釈」の名前が記されています。 また,像内の…
現在の熊野那智大社には,たくさんの宝物があります。その中で近年,和歌山県立博物館学芸員の大河内氏や高木氏などによって発見された,平安時代後期(12世紀)の男神坐像を紹介します。 この神像は,衣冠束帯の姿で表わされています。もちろん,一木から制作…
2008年5月4日付けの『紀伊民報』の記事より。 和歌山県東牟婁郡北山村で,恒例の観光いかだ下りが5月3日から始まりました。 この観光いかだ下りは,北山村が1979年から体験型観光として復活させたものです。熊野川の上流・北山川の,オトノリと小松の間…
2008年5月3日付けの『紀伊民報』の記事より。 和歌山県のレッドデータブックの絶滅危惧ⅠA類に分類されている野生のキエビネランが,白浜町の山林で黄色の花を咲かせ,熊野の薄暗い山林にある種の明るさをもたらしてくれている。 キエビネランは,普通のエ…
これらの絵画は,愛知県豊橋市正宗寺にある長沢芦雪の紙本水墨画の掛け軸です。特に面白そうなものを選びました。 1枚目の写真は,大黒図の写真です。1幅の掛け軸です。 2枚目の写真は,鐘馗図の写真です。双幅の掛け軸です。 全体に現れている浪のような…