浜ノ宮王子社及び補陀洛山寺,そして藤倉城跡と勝山城跡

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 浜ノ宮王子社(熊野三所大神社)と補陀洛山寺は,那智山への入口であり,補陀洛渡海へのスタート地点でもありました。

 1枚目の写真にある浜ノ宮王子社の本殿は,3間社流造・桧皮葺きの建物です。中世の形式を色濃く反映した社殿ですが,棟札によると,建立されたのは慶安元年(1648)のようです。浜ノ宮王子社には,平安時代中期(11世紀初め)制作の大山祗命坐像・天照大神坐像・彦火々出見命坐像(県指定文化財)などが鎮座していますが,元来,それらの神像は熊野三所権現の各神像(速玉大神・夫須美大神・家津御子大神)を意味していたようです。

 補陀洛山寺は,元来,千手堂とよばれていました。そこには平安時代中期(10世紀後半~11世紀前半)の広目天立像・多聞天立像(県指定文化財)と,そして2枚目の写真にある,平安時代後期(11世紀~12世紀)に制作された本尊の千手観音立像(国重要文化財)が安置されています。

 3枚目の写真(江戸期の那智古絵図の一部)の左側上にみえる山塊が,中村の藤倉城跡です。藤倉城跡は,米良実報院の居城跡(古絵図中に「十方院之古城」とある)です。3枚目の写真の右側下にみえる山塊が,実報院の宿敵・塩崎廊之坊の居城跡とされる浜ノ宮・川関の勝山城跡です。藤倉城跡と勝山城跡は,那智川を挟んで対峙する位置にありました。
 
 和歌山県立博物館編『世界遺産登録記念特別展 熊野・那智山の歴史と文化-那智大滝と信仰のかたち-』(2006)より写真を掲載させていただきました。