「アレキサンダー大王の石棺」
かつて,トルコのイスタンブールを訪れた時,有名なイスタンブール考古学博物館で,歴史上のある有名人の名を持つ石棺を身近で観察してきました。
さて,この1枚目の写真に撮られた石棺主は誰でしょうか??
「アレキサンダー大王」。
そう仰るだろうと思っていましたが,否,違います。
確かに,この石棺には「アレキサンダーの石棺」という名前が付けられていますが,アレキサンダー大王,ギリシア語で言うというとアレクサンドロス大王がこの棺主ではありません。
この「アレキサンダー大王の石棺」は,1889年にレバノン共和国のシドンの汪家の墓地で発見されました。槍や剣などの金属製品はなくなっていますが,それを除くと石棺そのものは殆ど完全な形で残っています。
2枚目の写真。石棺の長い面の一方には,紀元前333年にマケドニア・ギリシア連合軍がペルシア帝国のフェニキア・シリアに侵入する突破口となった戦闘,イッソスにおけるギリシア人とペルシア人の戦闘の場面が描かれています。
反対の長い面にはライオン狩りとシカ狩りの場面が描かれています。
ここに描かれた人物たちの中の重要人物は,アレクサンドロス大王とその武将で親友だったへパエスティオンの2人です。さて,アレクサンドロス大王はどこにいるでしょうか??
3枚目の写真。ちょっと見難いですが,最左端の人物がアレクサンドロス大王です。
この石棺が製作されたのは,紀元前312年以後のことですが,このペンテリック大理石製の棺の主は,実は紀元前312年のガゼの戦闘で戦死したフェニキア・シドンの王アブダロニモスです。
アブダロニモスは,先を急ぐアレクサンドロス大王から任命の権限を委ねられたへパエスティオンによってフェニキア・シドンの王に任命されました。たぶん,そのことを恩義と感じたアブダロニモスが,アレクサンドロス大王とへパエスティオンの事績を自分の石棺に刻ませたのでしょう。
この石棺は,現在のイスタンブール考古学博物館の所蔵品の中でもっとも重要な所蔵品の1つです。
さて,この1枚目の写真に撮られた石棺主は誰でしょうか??
「アレキサンダー大王」。
そう仰るだろうと思っていましたが,否,違います。
確かに,この石棺には「アレキサンダーの石棺」という名前が付けられていますが,アレキサンダー大王,ギリシア語で言うというとアレクサンドロス大王がこの棺主ではありません。
この「アレキサンダー大王の石棺」は,1889年にレバノン共和国のシドンの汪家の墓地で発見されました。槍や剣などの金属製品はなくなっていますが,それを除くと石棺そのものは殆ど完全な形で残っています。
2枚目の写真。石棺の長い面の一方には,紀元前333年にマケドニア・ギリシア連合軍がペルシア帝国のフェニキア・シリアに侵入する突破口となった戦闘,イッソスにおけるギリシア人とペルシア人の戦闘の場面が描かれています。
反対の長い面にはライオン狩りとシカ狩りの場面が描かれています。
ここに描かれた人物たちの中の重要人物は,アレクサンドロス大王とその武将で親友だったへパエスティオンの2人です。さて,アレクサンドロス大王はどこにいるでしょうか??
3枚目の写真。ちょっと見難いですが,最左端の人物がアレクサンドロス大王です。
この石棺が製作されたのは,紀元前312年以後のことですが,このペンテリック大理石製の棺の主は,実は紀元前312年のガゼの戦闘で戦死したフェニキア・シドンの王アブダロニモスです。
アブダロニモスは,先を急ぐアレクサンドロス大王から任命の権限を委ねられたへパエスティオンによってフェニキア・シドンの王に任命されました。たぶん,そのことを恩義と感じたアブダロニモスが,アレクサンドロス大王とへパエスティオンの事績を自分の石棺に刻ませたのでしょう。
この石棺は,現在のイスタンブール考古学博物館の所蔵品の中でもっとも重要な所蔵品の1つです。