2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧

サクラとヤドリギとサルノコシカケ

今日,私の母の法事があり,その後,お寺で受け取った塔婆を持って再び山の上の白浜共同墓地にやってきました。 ここは大変,見晴らしの好い所です。城館ホテル川久の向こうに,海を隔てて,雲海の残る遠く熊野の山並みが見えています。 その墓地の片隅に植…

再び田辺市の天王池の鳥達を見る

今年の2月1日,しばらく見掛けなかった鳥たちが田辺市の天王池に帰ってきたことを紹介しました。 昨日,本宮へ行った帰りに再び池に立ち寄ったところ,マガモは殆どおらず,2羽だけでした。あれほどたくさんいたマガモたちはどこへ行ってしまったんでしょ…

〈西洋〉古代史研究会会員各位

写真は,護摩祈願の護摩焚きのため,神倉神社鳥居前に設置されたものです。 これで叶えてもらいたい願いを祈るわけです。 以下,〈西洋〉古代史研究会会員各位へのバトン・リレーによるお知らせです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…

「那智権現縁起絵巻」の残欠

これは「那智権現縁起絵巻」の残欠と思われるもので,ほぼ真ん中に縮小された那智の大滝が描かれています(1枚目の写真)。 滝の下の小さな橋の右側に,草葺き屋根の庵が描かれています。その上に「那智籠庵室」の文字がしっかりと書かれています。たぶんここ…

幻の「雑賀踊り」が和歌山大学紀州経済史文化史研究所の主催で和歌山市の矢宮神社で開かれます。

2009年3月3日15時から,幻の「雑賀踊り」が和歌山市関戸にある矢宮神社で開かれます。主催は和歌山大学紀州経済史文化史研究所です。 天正5年(1577)3月3日,織田信長の大軍を雑賀川合戦で撤退させた雑賀衆の鈴木孫一が矢宮神社で神に参加して踊った…

那智青岸渡寺の宝筺印塔と梵鐘

あまり注目されませんが,那智青岸渡寺の本堂の北隅には,元享2年(1322)に建造された国指定重要文化財の宝筺印塔(1枚目・2枚目の写真)があります。 この宝筺印塔は,明治以前は市野々字滝原に所在していましたが,何度かの移転の後で現在の場所に置かれた…

和歌山県立紀伊風土記の丘企画展

和歌山県立紀伊風土記の丘企画展のご紹介です。 気が向きましたらお出掛けください。

思い掛けぬ所でこんな書が。

調査におもむいた古座の思い掛けぬ所でこんな書が・・・・。 さて,これは誰の書でしょうか?? そうです・・・・。 「芸術は爆発だ」の岡本太郎の書です。ここに泊った時に書いてくれたんだそうです。 文面はわかりますね。 「あら勿体ない 河内祭」 今風です…

ナンキンハゼの木に留ったヒヨドリ

熊野古道の途中にある高原(たかはら)で,落葉高木であるナンキンハゼの木にヒヨドリの夫婦が留り,実を食べている光景を目撃しました。急いで写真に撮りましたが・・・・。 後で調べてみると,実を口に挟んでまさに食べる瞬間という写真もありました。 非常…

「霧の里たかはら」と高原の雲海

昨日(2月14日),熊野古道の拠点・滝尻(たきじり)王子社で,修験の行場と経塚の存在形態について,地元の30数名の人達と共にY氏から実地および中辺路行政局で講義を受けました。 面白かったです。 その日は同じく熊野古道の拠点・高原(たかはら)に新しくで…

2月7日の夕方,やはり駆け足で,太地のくじらの博物館→大泰寺→下里古墳へ

太地の人々は近代になり,南氷洋や北洋で捕鯨に活躍しました。 昭和44年(1969),森浦湾に面した地を埋め立ててつくった「くじら浜公園」が建設されました。ここから見える勝浦方面の景色(1枚目・2枚目のの写真)は殊のほか素晴らしいですね。 くじらの博物…

家の近くの梅畑の梅の花

家の近くの梅畑の梅の花は9分咲きといったところですが,南部梅林や岩代大梅林の梅の花は昨日の時点でもう満開だったそうです。黄砂とともにミツバチもかなり梅の花の蜜を吸いにやってきていたそうです。 でも,今日は温暖な大風が吹いています。 これで咲…

午後も賭け足で,補陀洛山寺→浜ノ宮王子社→熊野那智大社→青岸渡寺→那智滝→勝浦港まで

2月7日の午後,まず,熊野比丘尼の本拠地であり,補陀洛渡海へのスタート地点でもあった補陀洛山寺(1枚目の写真)と,3間社流造・桧皮葺きで慶安元年(1648)に建立された浜ノ宮王子社本殿(2枚目の写真)に参詣しました。 補陀洛山寺は,ちょうど入口の扉が…

我が家のフクジュソウ

我が家のフクジュソウです。 少しバラけて咲きましたが,今年も約束どおり見事に咲いてくれました。 嬉しい!! 蕾を割りつつ花開こうとしている最後の写真,いいでしょう。これ気に入っています。

駆け足で,熊野速玉神社→阿須賀神社→徐福墓伝説地→三輪崎八幡神社を廻って来ました。

2月7日,神倉神社,新宮丹鶴城跡へ行ってきた後,駆け足で熊野速玉神社(1枚目の写真)→阿須賀神社(2枚目の写真)→徐福墓伝説地(3枚目の写真)→三輪崎八幡神社(4枚目の写真)を廻って来ました。 阿須賀神社の南に徐福の墓と言い伝えられている伝説地があり…

新宮の丹鶴城跡訪問

2月7日,新宮の丹鶴城跡へ登って来ました。 慶長5年(1600),それまで新宮を支配していた地元生え抜きの戦国大名の堀内氏に代わり,浅野幸長が甲斐国から紀伊国に入り,新しい藩主となりました。そして翌年,浅野幸長の次男忠吉が新宮に入り,直ちに当地に…

新宮市の神倉山へよじ登り,神倉神社で参拝を行う。

2月6日に新宮の神倉神社で有名な火祭がありました。 昨日(2月7日),別の用事で新宮市へ行ったのですが,ついでに神倉山(標高120m)へ登り神倉神社へお参りしてきました。 登ると行っても,石段(538段)を普通に登れば足を滑らせて死に至る懼れがあります…

南部梅林の奥にある車で行ける梅林

原稿書きのラスト・スパートということで,この2日間,ブログの更新を休ませて貰いました。お蔭様でちょっとのんびりしています。 有名な南部梅林の奥にある車で行ける梅林へ行ってきました。 非常に温かく良い天気でしたが,まだ7分~8分咲きといったと…

梅畑

梅畑の梅が次第に満開に近づいています。 もうあと2~3日でしょうかね。

白浜町(旧日置川町)出身の蘭方医・小山肆成顕彰会について

つい先日,白浜町(旧日置川町)出身の蘭方医・小山肆成(こやましせい)顕彰会が結成されました。 小山肆成に関して,私達が共同執筆した『新版和歌山県の歴史散歩』(新全国歴史散歩シリーズ,山川出版社,1993)には,「小山肆成は若くして京都に遊学し,医術を…

田辺市の天王池の渡り鳥たち

田辺市の天王池に,しばらく見掛けなかった鳥たちが帰ってきました。越冬のためでしょうか。 専門じゃないので,サギ,カモというくらいしか,鳥の名前はよく分かりません。細かい名前を教えて下さい。