西国三十三ケ所観音霊場巡り第1番札所の那智山青岸渡寺

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 那智山青岸渡寺は,元来,如意輪観音堂とよばれていました。平安時代末期に第2代目熊野三山検校・行尊らによって観音霊場として喧伝された結果,西国三十三ケ所観音霊場第1番札所として有名になりました。

 1枚目の写真にあげた本堂(国指定重要文化財)は大規模な9間堂で,建築様式と奉納された鰐口の刻銘から,豊臣秀吉によって天正18年(1590)に再建されたことがわかります。入母屋造・柿葺きの建物で,大勢の参詣者が土足のまま外陣に入ることができるように大空間がつくられ,札所建築らしい特徴をよく示しています。この地方における桃山建築の代表的建築物とされています。

 本堂にば,那智山経塚出土の仏像のうち,奈良時代のものと思われる銅造観音菩薩立像や,平安時代前期のものと思われる銅造如来立像,さらに2枚目の写真にあげた平安時代後期の大日如来坐像など,いずれも国指定重要文化財の8点の仏像,さらには室町時代の熊野本地仏曼荼羅図や熊野垂迹神曼荼羅図などが保管されています。
 
 さらに注目したいのは,3枚目の写真としてあげた,本堂に鎮座する「お前立ち」とよばれる室町時代如意輪観音菩薩像の背後にどのような本尊・如意輪観音菩薩像が秘蔵されているのか,ということです。那智大滝の滝壺から開祖・裸行上人が感得したという,時代不明の如意輪観音菩薩像を見た人はいますか??

 なお,外陣には4枚目の写真にあげた巨大な鰐口が懸けられています。この鰐口は,銘文から天正18年(1590)に豊臣秀吉によって奉納されたことがわかります。

 さらに,本堂の北隅には,元享2年(1322)に建造された宝筺印塔(国指定重要文化財)があります。この宝筺印塔は,明治以前は市野々字滝原に安置されていましたが,何度かの移転の後で現在の場所に置かれたといわれています。願主は禅尼善覚で,石工は藤原景成です。

 また,鐘楼には,元享4年(1324)に建造された梵鐘(町指定文化財)があります。銘文には,那智の執行として法印権大僧都道済,滝本執行として法印尊什の名が記され,さらに鐘大工として河内国住人河内介弘の名も記されています。

 和歌山県立博物館編『世界遺産登録記念特別展 熊野・那智山の歴史と文化-那智大滝と信仰のかたち-』(2006)と『別冊太陽 熊野』(平凡社,2002年)から2枚ずつ写真を掲載させていただきました。