2007-04-01から1ヶ月間の記事一覧

鶴崎裕雄氏の御高論の紹介

帝塚山学院大学名誉教授の鶴崎裕雄先生から,御高論を御恵贈いただきました。 鶴崎氏に心から感謝申し上げますとともに,その御高論のタイトルを取り急ぎ以下に紹介させていただきます。 ①,鶴崎裕雄「連歌師と旅と名所」(鈴木広之『日本の美術5 №491 名所…

中国の古都・洛陽の「龍門石窟」(世界遺産)

20年前の1987年の夏休みを利用し,中国を団体旅行してきました。色々な所へ行きましたが,後に「世界遺産」に指定された古都・洛陽の「龍門石窟」(ローメンシークー)は,強く印象に残っています。 「龍門石窟」は,中国三大石窟の1つといわれ,伊闕山の石灰…

切手収集の僥倖

昨日,ちょっとした御縁から(ただ見知らぬ方と道で立ち話をしただけなのですが),職場の近くにお住まいのS氏が愛情をこめて熱心に長年収集してこられた切手コレクションを譲り受けることになりました。 私も切手収集家の端くれなのでそれが御縁になったので…

グアテマラの「ティカル遺跡」(世界遺産)のすごさ

8年前の冬休みに,「世界遺産」に指定されたグアテマラ共和国のティカル国立公園へ行き,ティカル遺跡を見て来ました。 ティカル遺跡は熱帯ジャングルの中にあるマヤ文明最大の遺跡で,グアテマラの数多くの遺跡の中でも最も有名な遺跡です。 1つ目,2つ…

大分県にある「熊野の磨崖仏」

大分県豊後高田市平野にある「熊野の磨崖仏」は,今熊野山胎蔵寺から700mほど坂道を上った所にあります。坂道を上り詰めると,忽然と巨大な大日如来像と不動明王像があらわれます。 もう30年程前の写真ですが,家人と共にめぐったその時の思い出が蘇って…

かつての「目津崎・眼鏡岩」の写真

今まで実に多くの写真を撮ってきました。 アルバムをめくると懐かしい思い出が蘇ってきます。 その中に今は崩落によって形が変わってしまった,目津崎の眼鏡岩の写真がありました。目津崎の眼鏡岩は,かつての日高郡南部町の千里海岸の南の外れにあり,名所…

「旧熊野本宮大社古絵図」

熊野本宮大社所蔵の「旧熊野本宮大社古絵図」を紹介します(『別冊太陽 熊野』〈平凡社刊〉掲載)。これは,江戸時代末期に作成されたと推定されています。 向かって右側を熊野川が,そして左側を音無川が流れています。そして,森の中に,幾棟もの社殿が建ち…

田辺湾の円月島

白浜町瀬戸湾にある白浜の有名な名所・円月島についてはかつて紹介しましたし,江戸時代に田辺湾上(白浜町臨海浦)にあった幻の円月島に関しても簡単に紹介しました。 しかし,実は田辺湾にもう1つ円月島があります。 場所は田辺市新庄町滝内のM喫茶・菓子…

でっかいミズダコ

昨日,息子が法事のため東京から帰って来ましたので,今日,久し振りに息子の運転で3人で○○○○市場に行って来ました。 息子の運転に難癖をつける家人のやかましかったこと。でも,最後にぽつりと,でも「お父さんの運転よりもましか」・・・・で終わり・・・…

有田市浄妙寺の薬師如来坐像,日光・月光菩薩立像

今まで熊野地方の仏像に絞って仏像を紹介してきました。 しかし,これからぼちぼちと熊野地方のものではないが,熊野と関係がありそうな仏像を紹介していきたいと思います。先ず最初に,有田地方にある仏像を紹介します。これは私の大好きな仏像の1つです。…

少林寺の地蔵菩薩像(修復以後)

リクウェストがありましたので,失敗作ですが,修復以後の地蔵菩薩像(少林寺)の全身正面像の写真をあげさせていただきます。 はずかしい!! おそくなりましたが,恥かきついでに,斜め右から撮った写真ものせさせていただきます。正面からは見えなかった部分…

「大斎原(旧熊野本宮大社)」(中編)

『後鳥羽上皇熊野御幸記』建仁元年(一二〇一)一〇月一六日条に,藤原定家らは「祓殿」から歩いて御前に参りましたが,「過山川千里,遂奉拝宝前,感涙難禁」と感想がつづられています。彼等は,いったん宿所に入り,明け方遅くに「祓殿」へ帰参したようです…

少林寺所蔵の阿弥陀如来坐像(修復以後)

この仏像は,以前にも紹介しました,熊野地方の代表的な仏像で,新宮市(旧熊野川町)日足の少林寺所蔵の阿弥陀如来像(平安時代後期)です。 以前は仏像の一部だけを紹介したのですが,今回は阿弥陀如来坐像の全身像を紹介します。本当は全身像の正面からの写真…

少林寺所蔵の地蔵菩薩像(修復以前)

ここで紹介する仏像は,熊野地方の代表的な仏像で,新宮市(旧熊野川町)日足の少林寺所蔵の地蔵菩薩像(平安時代末期)です。以前,修復後の地蔵菩薩像の上半身像を紹介しました。 この写真は,修復前の地蔵菩薩坐像の全身像の写真です。松島健氏編『紀伊路の仏…

熊野鳥居禅尼の東仙寺祈念仏

平安時代末期,源為義の娘で,反平氏闘争を呼びかける以仁王令旨を諸国の源氏に伝えた源行家の実姉にあたる熊野鳥居禅尼は,「たつたはらの女房」と呼ばれていました。 彼女は,19代目熊野別当行範の死後,剃髪して菩提寺の東仙寺で夫の菩提を弔うかたわら…

『聞き書き 紀州備長炭に生きる-ウバメガシの森から-』の御紹介

『聞き書き 紀州備長炭に生きる-ウバメガシの森から-』(社団法人農山漁村文化協会刊,2007年3月,1850円)という読みやすい本を入手しました。 この本はライターのかくまつとむ氏が備長炭の炭焼き職人・阪本保喜氏が語る言葉を聞き書きし,一冊の本にした…

イチイガシの大木

高校時代の恩師である後藤伸先生(故人)によりますと,昔の熊野を覆っていた森林は,非常に複雑で多種多様な生き物たちで構成された常緑の大森林でした。 その森林には,イチイガシ・ウラジロガシ・ウバメガシなどの常緑カシを中心に,タブノキ・スダジイ・イ…

伏拝の備長炭窯

伏拝の奥,少し入った所に備長炭窯があります。 行ったのは,これで2回目です。1回目はそのつもりで出かけたのですが,2回目は偶然です。新しい古道調査の一環として音無川中流の小森地区に出掛けた帰り道で出くわしました。 原料のウバメガシは,和歌山…

桜の中から・・・・。

今日,お墓参りしてきました。法事が近付いているのでその準備のためです。一面に細かい草が生えていたため,家人と2人で丁寧に草を除去しました。 終った頃に思い掛けない事態に遭遇しました。 近くに桜の木があるのですが,そこへメジロの大群がやってき…

「大斎原(旧熊野本宮大社)」(前編)

「熊野本宮大社」(「熊野坐神社」・「熊野十二所権現社」ともいわれています。上四社・中四社・下四社,あるいは三所権現社・五所王子社・四所明神社からなる)は,かつて熊野川とその支流の合流地点に形成された広大な中州である「大斎原」(おおゆのはら)に…

満開

ご近所の花ももう満開です。我が家の庭にもたくさんの花がまるで勢いを競うかのように咲き誇っています。 昨夜,送別の宴でした。幹事でありながら温燗の梅入り焼酎をちょっと呑み過ぎまして,今日は身体もだるく,仕事も一服です。 久し振りに休み時間を利…

『現代の巡礼―四国遍路と世界の巡礼―』の紹介

2006年11月18日~19日かけて愛媛大学法文学部でおこなわれた「四国遍路と世界の巡礼」公開シンポジウムと研究集会「現代の巡礼」についてのレジュメを,徳島県立博物館学芸員の長谷川賢二氏の御紹介により,愛媛大学法文学部教授・山川廣司氏から御恵贈いた…

「音無川」

「音無川」(おとなしがわ)は,すでに過ぎて来た「三越峠」付近にその流れを発し(写真はその源流の一つである滝),東流して旧熊野本宮神社社前で熊野川にその流れを注いでいます。 中辺路を歩く参詣者たちはその上流・中流において何度か流れを渡り,最後に旧…

現在の「熊野本宮大社」

「熊野本宮大社」(くまのほんぐうたいしゃ,別名「熊野十二所権現社」という)は,かつて熊野川とその支流の合流地点に形成された広大な中州である「大斎原」(おおゆのはら)に鎮座していました。 しかし,明治二二年(一八八九)の大水害によって社殿の大半を流…

「本宮庵主坊跡」

本宮庵主は,中世後期以降,熊野本宮の造営・勧進を主催し,熊野三山検校の指示で多くの熊野山伏を率い全国をまたに掛けた活動を展開して来た天台修験寺院です。 写真は橋を渡って西側から旧社地跡に入る場面を撮ったものですが,橋を渡り右手の繁みに入って…

御影史学研究会4月例会の御案内

御影史学研究会4月例会の御案内 日時 2007年4月22日(日) 13:00~17:00 会場 西宮市民会館 小会議室(A) (阪神西宮駅東改札下車北へ3分,西宮市六湛寺町10-12,電話0798-33-3111) 発表 吉井 淳氏「長谷寺式十一面観音像の像容とその信仰」 中村慶太氏「伯耆…