2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

長沢蘆雪の幽霊の掛け軸

暑いですね。 そこで,少しでも涼しくなって頂くために,紀南地方を旅した際に多くの名画を残し18世紀頃活躍した長沢蘆雪の幽霊の掛け軸をのせておきます。 この掛け軸は,現在,奈良県立美術館に所蔵されているもので,京都・大通寺の僧南谷照什の画賛があ…

「謎の源氏物語絵巻を追う」の記事

『日本経済新聞』2008年7月27日付けの「謎の源氏物語絵巻を追う」の記事(記者は宮川匡司氏)に興味をひかれました。 写真を御覧ください。 名古屋市東区徳川美術館所蔵の「源氏物語絵巻・桐壺」(江戸時代前期の明暦元年<1655>に制作か)が世上の関心を広く集…

ハリー=ポッターシリーズの最終巻(上下巻)

現在,J・K・ローリングの名作ハリー=ポッターシリーズの最終巻(上下巻)を読んでいます。 まだ,全体の5分の1くらいしか読んでいませんが,面白くなりそうな予感を持っています。最後にどんでん返しがありそうな感じで・・・・今から結末を読むのが楽し…

兵庫県西宮市の本住吉神社の夏祭りで行列をくむダンジリの試運転

昨日,天神祭後の大阪へ出掛けました。翌日,西宮市東灘文化センターで開催される御影史学研究会へ参加し,2人の発表をきくのが目的でしたが,前日ということで,書店で買ったハリー=ポッターの最終版の第7巻を読んだりして,久し振りにゆっくりとしました…

「田辺祭り」と古座の「河内祭り」

『紀伊民報』7月26日付けの「優雅に紀南の夏祭り」の記事を紹介します。 これは,7月24日・25日に行われた田辺市の「田辺祭り」と東牟婁郡串本町古座の「河内祭り」について書かれたものです。 「田辺祭り」は闘雞神社の例大祭で,中でもこの記事で語られ…

新宮丹鶴城跡

1枚目の写真は新宮城下町の絵図です。 熊野速玉大社の東方にある丘陵・丹鶴山には,元々,熊野別当家の嫡流である新宮別当家の別邸や,平安時代末期の大治5年(1130)に源為義女「たつたはらの女房」(別名「熊野鳥居禅尼」)が夫の熊野別当行範(1115~1173)の…

新宮市熊野速玉大社熊野神宝館の古神宝類【№2】

すでに【№1】でも説明しましたが,熊野速玉大社の熊野神宝館には,所蔵品としておおよそ1000点もの古神宝類が収蔵され,一括して国宝に指定されています。 これらの古神宝類の大半は,明徳元年(1390)の遷宮に際して,当時の天皇・上皇・室町将軍足利義満お…

新宮市熊野速玉大社熊野神宝館の古神宝類【№1】

熊野速玉(新宮)大社の熊野神宝館には,所蔵品としておおよそ1000点もの古神宝類が収蔵され,一括して国宝に指定されています。 これらの古神宝類の大半は,明徳元年(1390)の遷宮に際して,当時の天皇・上皇・室町将軍足利義満および諸国の守護の支援のもと奉…

柿の実,未だ青く小さいですが,ここまで育ちました。

昨日は暑かったですね。夜も深まってまいりました。今日も暑くなりそうです。 1枚目の写真。今年,この秋の収穫を楽しみにしている,息子誕生の記念に植樹した柿の木が久し振りに実を付けました。 まだ青く小さいですが,秋と共に,この2倍ぐらいの大きさ…

新宮市東仙寺の仏像と寺宝

平安時代末期,源為義の娘で,源行家(新宮十郎義盛)の実姉でもあった「たつたはらの女房」(別名「熊野鳥居禅尼」)は,自らが開基となって,大治5年(1130),丹鶴山に東仙寺を建立しました(『紀伊続風土記』)。 鳥居禅尼は,夫に当たる19代熊野別当行範の死後…

新宮市妙心寺と寺宝

臨済宗法燈派に所属している新宮市の妙心寺は,神倉神社への登り口にあります。 元来,尼寺で,本尊は愛染明王。もとは天台宗で平安時代末期の12世紀初頭に永信尼(1枚目の写真,江戸時代前期制作)によって開基されましたが,鎌倉時代末期に法燈国師とその母…

恒例の茗荷漬作り

昨日,我家の年中行事ともいうべき自家消費のための花付き茗荷の収穫をしました。40個ほどとりましたが,まだたくさん残して置きました。 まず,水で綺麗に洗い塩を振りかけて,花付きのまましばらく置きます(1枚目の写真)。 ついでに,色付けのため,自家…

新宮市神倉山の神倉神社と火祭

県指定史跡の神倉神社は,熊野速玉大社の南西,権現山の南端に位置する神倉山(神蔵山,標高120m)の山頂に鎮座しています。 1枚目の写真。この神社のご神体は,町中からはっきりと見える「ごとびき岩」と呼ばれる山上の巨岩です。 50年程前に「ごとびき岩」…

「石段を舞う勇壮な炎-那智の火祭-」の記事

7月12日から17日にかけて,子と孫の顔を見がてら,関東地方へ調査旅行に行って来ました。帰って来るや,いつものように早速,地元の新聞に目を通しました。 『紀伊民報』7月16日付けの「石段を舞う勇壮な炎-那智の火祭-」の記事。これは,7月14日におこ…

洪水が多発した平安時代

我が家では現在,私の大好きな白色や紅色のムクゲの花が咲き誇っています。 『朝日新聞』7月10日付けの文化欄の記事「歴史に探る気候変動 <中> 洪水が変えた平安時代」によりますと,「氷河期から温暖化して縄文時代を迎えた日本列島は,縄文の終わりごろ…

新宮市別当屋敷町から山際地にかけての寺院及び文化財

熊野速玉大社近くの別当屋敷町の南を堀端通りがほぼ東西に通っています。 町名の由来は,当地にあった平安時代末期の鳥居在庁の住房を起源とする熊野別当屋敷跡があったことによるといわれています。 ところで,戦国時代に,戦国大名として台頭しつつあった…

細見美術財団蔵の「熊野十二尊本地懸仏」

この作品は,鎌倉時代末期に制作された細見美術財団所蔵の「熊野十二尊本地懸仏」で,懸仏を代表する名品中の名品といわれています。 懸仏とは,近代以前の神仏習合時代の日本において,神社の本地仏を取り付けた鏡形の金属板を神殿内などに懸けて崇拝の対象…

「太陽の円盤」(青銅製)の鉄製模造品

以前,トルコ旅行をした時,幾つかの土産を買い求めてきました。 1枚目の写真は,トルコのアラジャホイック遺跡(ヒッタイト文明を代表する遺跡)から出土した,「太陽の円盤」(青銅製,4千年以上前)の鉄製模造品です。 2枚目の写真は,その元になった原物…

象形の容器

もうかなり前になりますが,スリ=ランカ(セイロン)に立ち寄った時にお土産としてセイロン茶の入った素敵な容器を義父たちへの土産として買って来きました。 この象形の容器は,お茶を飲んだ後,ちょっとその辺に飾っておくのにちょうど好い華やかさも持って…

田辺市本宮町の本宮竹の坊屋敷跡と大智庵

旧熊野本宮大社跡である大斎原から音無川を渡り,西鳥居から外に出た目の前の高台を上った所に,県指定史跡の本宮旧社家竹の坊屋敷跡や大智庵があります。 1枚目の写真。本宮竹の坊屋敷跡は,現在,本宮小学校の敷地内にありますが,院政時代の一時期に上皇…

グラジオラスの花咲く

今を盛りと咲いているグラジオラスの花を,熊野古流生花の流儀に則り活けてみました。熊野古流は,師範なし,弟子一人の新興生花流派です(大笑)。 左の空間がやや大きく残っていますので,アンバランスな感じがしますが・・・・。 壺は,中国磁州窯(いわゆる…

大池の森の中の鳥達

田辺市下万呂にある須佐神社前の天王池。 ここに,今たくさんの種類の鳥が棲み着き,子育てをしています。 今日,昼から写真を撮ってきました。 素人の私には,その鳥の種類の区別すら付きかねています(3枚目に写っている鳥はカワウかな,そして4枚目の写…

昨夜の,子2人と孫2人とのお別れ会

今朝,帰省していた子2人と孫2人が関東へと帰って行きました。 急に寂しくなりました。 飼っている犬もどこか変で妙にいらだっているようでした。 昨夜のお別れ会で,「たきもと」という地元の魚を食べさせる割烹に行って,地元・日高川産の天然のアユとウ…

田辺市本宮町の備宿遺跡と備崎経塚

熊野川を挟んだ大斎原の対岸に,備崎丘陵があります。ここは大峰奥駈けの道の始りであり終点でもありました。 1枚目の地図(山本義孝氏の論文「山岳信仰遺跡を読み解く(一)-玉置山・備崎-」<紀南文化財研会誌『熊野』132号・133号合併号>より掲載)。この…

田辺市本宮町・大日越え山道沿いの石仏と板碑

田辺市本宮町の熊野本宮大社の南側にある大日山(標高369m)の北側の峠を越えて湯ノ峰に達する大日越えの山道があります。 『中右記』天仁2年(1109)11月1日条によりますと,藤原宗忠は本宮から湯ノ峰に向かったが,この時に通った道はこの大日越えの山道で…