11月04日夕方、千里ヶ浜を散策。


  11月04日の夕方、沈みゆく太陽を見ながら、南部の千里ヶ浜海岸を、犬を連れて散策しました。

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 愛犬の2匹ともこの砂浜が好きなのではしゃぎ回っていました。マリリンは近くにいましたが、
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 クルリンはドッグランで先に走って行ってしまいました。

 この岩は、砂浜のあちこちに露呈している1600万年程前の田辺層群下部朝来(あっそう)累層の礫岩いわゆる有名なさざれ石です。(↓)
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 太陽が沈む様子をご覧ください。
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 ここにもさざれ石が・・・・露呈しています。
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 これが翌日、改めて撮った千里ヶ浜の全景写真です。手前に朝来累層の礫岩の地層がはっきりと姿を現しています。
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多くの鳥の写真をゲット!!


 11月04日、家人が呼ぶ声を聞き、外を見たところ、隣の家のアンテナにとまっているやや大きな鳥を見かけ、取り敢えず何枚か写真を撮りました。
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 その鳥は猛禽類に分類される鳥でしたが、私はこれまでトビ以外の猛禽類を野外であまり見たことがなかったので、その時はその名前が浮かんで来ませんでした。しかし、後で手元にある『鳥類の図鑑』を眺めている間に、これはノスリかなあ、と思い始めました。
 どうでしょうか?

 今日は、空に少し雲があるものの、朝から本当に気分のいい好い天気が続いていました。
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 そのためかわかりませんが、鉄柱や電線などにとまっているカラスなどの多くの鳥の姿が目につきました。

 これは、遠くの電線にとまっていたキジバトです。かなり長い間、とまっていました。
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 そして最後に、道を隔てた隣の家の屋根にイソヒヨドリの♀がとまっているのを見かけました。
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 でも、よく見ると羽根の一部を切断されているようでした。誰かに捕らえられて切断されたのでしょうか。

 実に痛ましい話です。怒りすら覚えました。

大山で拾った石と大山寺本堂前で見掛けた昆虫


閑話休題】 10月22日の巡検の最中、大山の麓を流れる佐陀川の川原でこんな石を拾ろいました。白色と茶色の安山岩(?)の小石です。中に混入している鉱物は同じようです。私には変な趣味があって、こういうものを記念に収集するのが大好きです。
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 その約30分前に大山寺本堂前の欄干でこんな昆虫を見掛けました。ブログ友の影響もあってか、チョウやトンボの他にこんな昆虫にも興味をもつようになってきました。
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 何という名の昆虫でしょうか、どなたか教えて下さい。

日本山岳修験学会大山学術大会の3日目、見学会(巡見)№④

【承前】

 10月22日、日本山岳修験学会大山学術大会の3日目、見学会(巡見)№③の続きです。

 後ろを振り返りつつ阿弥陀寺の参道を下り、左手に逸れ上横手道を通って境目の石の大鳥居に向かう。(↓)
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 途中で出会った地蔵たちです。(↓)
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 この石の大鳥居(↓)は前にも紹介しましたが、再び、別の写真で紹介します。
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 説明を聞きながら何故か足元の枯葉に見惚れていました。
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 見上げると‥‥。
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 鳥居から引き返す中横手道の途中で、前にも紹介しました水木漫画の天井画で有名な圓龍院に到着。
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 でも、今回はこの寺院の住職で、画僧としても有名だった江戸時代末期の嗒然(とうぜん)和尚の地蔵漫画を紹介します。
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 両者には時代を超えたこういう縁もあったんですね。

 下横手道の終点が仲良しのK氏と何度も写真を撮りに来た大山寺橋です。観光客で賑わっているこのあたりから大山の北壁の写真を撮りました。
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                                             [次に続く]
 

日本山岳修験学会大山学術大会の3日目、見学会(巡見) №③

【承前】

 10月22日、日本山岳修験学会大山学術大会の3日目、見学会(巡見)№②の続きです。
 まず大山僧房跡全体測量図を紹介します。(↓) 難いかもしれませんが、地図の左上に寂静山地区の僧房跡(1~39)、その左側に東地区の僧房跡(1~55)、そしてほぼ真ん中から右下にかけて西地区の僧房跡(1~66)が表現されています。
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 ついでに学会からいただいたわかりやすい観光地図も紹介します。(↓)  主に右側を見てください。
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 西地区の氷室跡を出た後、いくつかの遺構跡地を通りましたが、後ろの方を遅れて歩いていたので説明をあまり聞いていません。
 この場所は「古常行念仏三昧堂跡(阿弥陀堂)推定地」でしょうか(??) (↓)
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 西地区の僧房跡を上から下にかけて順番に回りましたが、西地区の僧房跡(西方極楽浄土を求める西明院の僧房跡)の中心に位置づけられているのが阿弥陀堂(念仏常行三昧堂です。ここで昼食をとり、南側から撮影。(↓)
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 西側から撮影。(↓) かなり古そうな五輪塔が見えていますが、誰の五輪塔でしょうか。
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 この阿弥陀堂常行三昧堂は、柱間5間の宝形造り、杮葺き正方形の建物で、ここには太く堂々とした柱が使われています。現在のお堂はかつてあったお堂の古材を使い室町時代の天文21年(1552)に再建されたとされています。重要文化財に指定。
 そして、その古材の中には鎌倉時代の古材も含まれているそうです。どれだかわかりますか。(↓)
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 堂内には西方極楽浄土の主人・阿弥陀如来が右に勢至菩薩、左に観音菩薩を従えて正坐。この金色に輝く丈六の大きな阿弥陀三尊像(いずれも重要文化財に指定)は、平安時代の天承元年(1131)に京仏師・良円によって制作された定朝様の仏像です。(↓)
 日本山岳修験学会の大山大会ということで、今回、かなり長い間、特別に参観させていただきました。感謝 !!

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 しばらくたってから、参道を下りました。後ろに・・・・。(↓)
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日本山岳修験学会大山学術大会の3日目、見学会(巡見) №②

【承前】

 10月22日、日本山岳修験学会大山学術大会の3日目、見学会(巡見)の続きです。

 大神山神社奥宮(大智明大権現社)から石段を下り、鈴木会長ご推薦の彫りの深い狛犬の爪を観察。(↓) 気のせいか、狛犬の目の輝きが何やら気味が悪いですね‥‥。
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 その後、江戸時代に大山寺一山三院と大山寺領3000石を管理した東地区の広大西楽院跡を見学。これは門の跡の礎石。(↓)
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 参道から道を左手に逸れ、安山岩が散らばる佐陀川に出て、まず賽の河原を見学。(↓)
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 ついで右手の金門を眺め、(↓)
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 切り通し道、石畳の参道を辿り、大山寺本堂を通って再び佐陀川に出、足を濡らしつつ上ワタリを渡り、
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 東地区から西地区へ。さらに僧房の跡を求めて険しい小道を辿る。
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 途中でパッと目にはわからない氷室の遺構などを眺める。
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日本山岳修験学会大山学術大会の3日目、見学会(巡見) №①


 10月22日、日本山岳修験学会大山学術大会の3日目。今日は見学会(巡見)。

 8時過ぎ、大山寺本堂への長い参道をへて、 門に入り、急な石段をゆっくりと上る。早朝なので人は殆どいない。

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 集合時間の8時30分のかなり前に、かつての中門院の中心・大山寺(天台宗)本堂に到着。(↓) 今日巡見に参加する会員たちがぼちぼちと集まって来ている。知り人が多く盛んに挨拶を交わす。
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 20日と同様、まず自由に突ける鐘楼で鐘を鳴らす・・・・。・・・・実に爽快。
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 ここから、大山北壁を展望。
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 集合し点呼を受けた後、寂静山に向かい、
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 中門院谷南光院谷をへて実にたくさんの僧房跡を見学。
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 しかし、そこにはただ空間だけが拡がっているだけなので、もう1つピンとこない。

 車道を横切り、急な斜面、狭い道を通って江戸時代に大山寺内の一山三院と大山寺領3000石を管理した西楽院跡を見下ろしつつ、
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 下山神社に到着。下山善神(白狐)が祭祀されている下山神社の本殿・幣殿・拝殿は、江戸時代後期に建造されました。いずれも国重要文化財に指定されています。(↓)
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 ご神体であった白鳳時代(8世紀後半期)の金銅仏・十一面観音立像(国重要文化財)はここから出土したといわれています。(↓)
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 下山神社の直ぐ隣に、江戸時代後期に再建された壮大な大神山神社奥院本殿・幣殿・拝殿があります。いずれも国重要文化財に指定されています。大神山神社奥院には、地蔵菩薩を本地とする大山の神大智明権現が祀られています。
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 写真撮影不可の場所で説明を受け、石段を下る。
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