2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧

田辺市本宮名産の「音無茶」

「奥熊野(おくくまの)」の一角を占めるかつての東牟婁郡本宮町は,どういう縁があったのか「口熊野(くちくまの)」の田辺市と合併しました。 本宮の名産品はたくさんありますが,その中で1つだけあげよ,といわれれば,やっぱり「音無茶」でしょうね。「音無…

春の日に。

今日はこちら(「くちくまの」,熊野のはずれ)は,いい天気でした。 ポカポカとしていて,横になると寝入ってしまいそうです。実際は職場に横になるところはあまりありませんが・・・・。 昨日は会議,会議で追い捲くられていたのですが,今日はゆったりと職…

中辺路と小辺路の合流地点・「三軒茶屋跡」

「伏拝王子社跡」から「三軒茶屋跡」まで1.2㎞。 道は,「伏拝王子社跡」から再び林の中へ。道幅は広く,所々に石畳が張られています。この石畳は,元和元年(1619)の改修によるものと推定されます。 坂道を南東に下って行くと,桧林の中に石製の道標が建てら…

サクラ咲く日に,熊野をウロウロ

熊野でも一部地域を除き,サクラが咲き始めました。 でも,高原はまだだそうです。 ここでは,今週の月曜(休暇をもらいました)の好天の中で撮った伏拝王子社のサクラ(1つ目の写真)と熊野本宮大社のシダレサクラ(2つ目の写真),さらに旧熊野本宮大社跡(大斎…

「和泉式部祈願塔」

実は,「和泉式部供養塔」なるものはもう一つあります。 それは,現在,熊野本宮大社の傍らに「和泉式部祈願塔」として祀られています。 この「祈願塔」は,元来,熊野本宮大社の旧社地にあったそうで,それを移転させてきたものだそうです。 さて,和泉式部…

伏拝集落の菊水井戸

今日,最終確認のため本宮地区を廻ってきました。各々,たくさんの人々で賑わっていました。 ところで,以前から気になっていた菊水井戸(きくすいいど,1つ目の写真)に行ってきました。 菊水井戸は,これ自体,特別な由来があるわけではないですが,持主の…

『おしえてわかやま 歴史編』と『博物館が好きっ! 学芸員が伝えたいこと』の御紹介

昨日,交流のある二人の方から注目すべき本をご恵送いただきました。 立花秀浩氏から,立花秀浩氏著『おしえてわかやま 歴史編』(わかやま絵本の会発行,2007年,定価1200円)をご恵贈いただきました。 子供むけに書かれたものですが,もちろん大人でも十分に…

「伏拝王子社跡」

「伏拝王子社跡」のある「伏拝」(ふしがみ)地域は見晴らしの良い丘の上にあり,辺りには家が散在し,棚田と茶畑・野菜畑などが広がっています。 ここのお茶は江戸時代から栽培が始まり,明治時代以降,「音無茶」(おとなしちゃ)という名で知られています(2…

和泉式部の「供養塔」と「祈願塔」

「伏拝王子社跡」(ふしおがみおうじしゃあと)の石祠のすぐ近くに,「和泉式部供養塔」(いずみしきぶくようとう)といわれる笠塔婆(正確にいうと,笠塔婆上に宝篋印塔の部品を積み重ねた奇妙なもの)か祀られています。 それには「南無阿弥陀仏 施主平□□ 延応元…

年度の変わり目にあたり

南無阿弥陀仏!! 悲しみの中で,それにともなう雑務や,本職にかかわる仕事をやっと果たしました。すべて終ったわけではありませんが,少し落ち着けそうです。 そして,その仕事の一環でもある,グループの会報の原稿もようやく今日,送付しました。 別のグル…

「阿弥陀寺跡」

かつて田辺市本宮町の祓殿王子社付近に,鎌倉時代に鎌倉の律宗(りっしゅう)の僧侶によって勧進・再建された阿弥陀寺(あみだじ)があったといわれています。 律宗の僧侶は,当時,本宮の社僧(たとえば熊野別当家出身の鳥居氏など)や神官たちの葬儀に携わってい…

新説・垂迹神降臨場としての乳岩。伝説は何を語るか。

静岡県袋井市教育委員会の山本義孝氏によって確認された田辺市中辺路町滝尻の山伏の行場を,昨年の12月に見学しました。 古記録には全く記されていない「不寝王子社」(ねずおうじしゃ)のすぐ近くに,「乳岩」(ちちいわ)がありますが,この「乳岩」は児玉荘左…

「祓殿王子社跡」

「祓殿王子社」(はらいどのおうじしゃ)は熊野九十九王子の1つとして知られ,県指定史跡です。 その名前の由来は, 「祓殿王子社」が最も熊野本宮(現「大斎原」)に近い王子社で,ここで旅の汚れを祓ったところから「祓殿」と称せられるようになったといわれて…

「水呑王子社跡」

「水呑王子社」(みずのみおうじしゃ)は熊野九十九王子の1つとして知られ,県史跡に指定されています。 「水呑王子社」の初見は,平安時代中期の増基法師の紀行『いほぬし』で,「御山につくほどに,木のもとごとに手向の神おほかれば,水のみにとまる夜」と…

「南無房跡」

『後鳥羽上皇熊野御幸記』建仁元年(1201)10月15日条に,「次発心門,午時許著発心門,宿尼南無房宅」とあります。 「南無房宅」は「発心門王子社」の裏手の,やや低い地点にある庵主屋敷と称される土地だとされています。今から見ると極狭い土地ですね。 藤…

「発心門王子社跡」

「発心門王子社」(ほっしんもんおうじしゃ)は,熊野九十九王子の1つとして知られていました。県指定史跡です。その初見は,『中右記』天仁2年(1109)10月25日条で,「発心門」王子社として登場しています。 なお,「発心門」は,分注にあるように「大鳥居」…

観福寺(臨済宗)の千手観音菩薩坐像

一昨夜私にとって非常に悲しいことがありました。 でも,仏像って良いですね,見ているうちに心が和んでいきました。 白浜町栄にある観福寺(臨済宗)の千手観音菩薩坐像を紹介します。観福寺は我が家の旦那寺です。町文化財で鎌倉時代のものだといわれていま…

熊野三山の奥の院・奈良県玉置山の修験

日本山岳修験学会理事で,静岡県浅羽町郷土資料館勤務の山本義孝氏から,奈良県玉置山の修験の写真をお借りしました。熊野三山の奥の院・奈良県玉置山について紹介させて頂きます。 私もかつて冬の寒い時に息子と二人で玉置山登山をおこないました。でも,山…

「船玉神社」と,湯ノ峰温泉にむかう赤木越道分岐点。

熊野川にそそぐ音無川上流部の川岸に,「船玉神社」(ふなたまじんじゃ,1つ目の写真)と「玉姫稲荷神社」(たまひめいなりじんじゃ,新社)が鎮座しています。 「船玉神社」は,熊野川の河口部・新宮の対岸にある鵜殿の船乗りたちが崇めた海上交通安全を守護す…

宝篋印塔と浮き彫りにされた仏像。

ここにあげる写真は,和歌山県新宮市の対岸,三重県旧鵜殿村にある中世の熊野水軍の旗頭・鵜殿氏一族(熊野別当家出身)の墓地の中にあるかなり珍しい宝篋印塔です。 珍しいのは,宝篋印塔の塔身の月輪(がちりん)の中に種字(梵字)以外に浮き彫りにされた仏像が…

巨大な○○○○!?

鹿島と夕陽,工事用の高所作業車を使ってちょっと遊んでみました。 なんでもない風景がちょっとした工夫,写し方しだいで面白い景色になることがあります。やはり遊び心も必要だなあ,と感じる今日この頃です。

第6回古代史研究会例会の御案内

古代史研究会例会の案内が届きました。今年も,世界史研究者として,広く喧伝させてもらいます。今回は出て行きやすい日程なので,私もなんとか出席したいと思います。 第6回古代史研究会例会の御案内 謹啓 早春の候、皆様には御健勝にて御研究にお励みのこ…

庭の花

しばらく庭を見ていないうちに,冬から春にかけての花が咲いていました。 そして,近くに住んでいる家人の母親の庭の中で,一際,綺麗な花を見つけました。 1つ目の写真は,ご存知,フクジュソウ(福寿草)の写真です。金鳳花(キンポウゲ)科らしい楚々とした…

「道ノ川集落跡」

三越峠を音無川源流に沿って下って来た所に,「道ノ川集落跡」(どうのかわしゅうらくあと)があります。この「道ノ川集落」には,廃絶するまで10軒程の家屋があったといわれています。 江戸時代には三越村内小字として「道川」が登場します(『紀伊続風土記』)…