考古・文化財情報
あまり注目されませんが,那智青岸渡寺の本堂の北隅には,元享2年(1322)に建造された国指定重要文化財の宝筺印塔(1枚目・2枚目の写真)があります。 この宝筺印塔は,明治以前は市野々字滝原に所在していましたが,何度かの移転の後で現在の場所に置かれた…
和歌山県立紀伊風土記の丘企画展のご紹介です。 気が向きましたらお出掛けください。
山本宣治記念碑近くにある安楽寺(曹洞宗)は,平安時代前期の天長年間(824~834)に開かれたと伝えられる古い寺です。 鎌倉時代になると,北条氏との関係から鎌倉の建長寺と深い関係をもつに至ったようです。信濃でも最古の禅寺といわれています。 開山は樵谷…
新宮市・明治大学主催,「国際熊野学会」後援の第2回熊野学フォーラムが,東京の明治大学リバティタワーで開催されます。 新宮市は,県立熊野学博物館の設立をめざしているだけあって,時代を先取るかのように熊野顕彰活動に非常に熱心です。 ただ,本来の…
やっと年末の研究旅行をすべて終えて帰ってきました。疲れましたが,充実した旅でした。 名古屋大学文学部でおこなわれる恒例のシンポジウムの前日にあたる12月19日,横浜方面から名古屋市に到着しました。 1枚目の写真。昼食を取るためデパートに行きまし…
長野県上田市の生島足島神社には,国重要文化財に指定されている『生島足島神社文書』94通があります。その多く(88%)が熊野牛王紙を使用した起請文です。 熊野牛王紙は,和歌山県の熊野三社(熊野本宮大社・熊野新宮大社・熊野那智大社)ごとにその様式は違っ…
最初の写真は,以前親戚からもらった栗を使って栗ご飯にしたものです。 今年も徐々に押し詰まってきましたね。 ところで,本日(2008年11月24日付けで),紀南文化財研究会の会誌『熊野』135号(86頁)が発刊されます。 以下に目次を示しておきます。本日の例会…
現在,智証大師(円珍)帰朝1150年特別展・国宝三井寺展が,11月1日から12月14日まで,大阪市立美術館で開催中です。 三井寺は別名・園城寺ともよばれています。三井寺は元来,近江国滋賀郡の豪族・大友村主氏の氏寺として白鳳時代に建立されましたが,貞…
以前,S大学准教授のM氏にお会いしに行った帰り道,序でに葛井寺及び辛国神社に立ち寄ったことを話しました。 実は最初に立ち寄った所は,羽曳野市にある野中寺(やちゅうじ)で,その後でバスに乗って葛井寺に向かいました。野中寺まではМ氏にわざわざ自動…
S大学からの帰途,せっかくの機会ですので現在調査している西国三十三所観音霊場の1つとして知られる葛井寺へ参詣してきました。 真言宗御室派の紫雲山葛井寺は,近鉄南大阪線の藤井寺駅から南東へ2分ほど歩いた所にある商店街沿いにあります。 葛井寺は…
第11回紀伊考古学研究会大会『時代の移行期を考える』の案内をさせてもらいます。私は,日本山岳修験学会が11月1日(土)から11月3日(月)まで妙高高原で開かれますので,今回は残念ながら参加できません。 日時 2008年11月1日(土) 午後1時~5時 会場 …
熊野速玉大社(熊野新宮)に伝来したとされる獅子・狛犬を紹介します。 むかって右側の阿形の獅子(像高59㎝)は両耳をねかせ,左側の吽形の狛犬(像高60㎝)は耳を立てています。 獅子・狛犬2体ともに檜材を寄木して細身につくられ,彩色で仕上げられています。…
すでに【№1】でも説明しましたが,熊野速玉大社の熊野神宝館には,所蔵品としておおよそ1000点もの古神宝類が収蔵され,一括して国宝に指定されています。 これらの古神宝類の大半は,明徳元年(1390)の遷宮に際して,当時の天皇・上皇・室町将軍足利義満お…
熊野速玉(新宮)大社の熊野神宝館には,所蔵品としておおよそ1000点もの古神宝類が収蔵され,一括して国宝に指定されています。 これらの古神宝類の大半は,明徳元年(1390)の遷宮に際して,当時の天皇・上皇・室町将軍足利義満および諸国の守護の支援のもと奉…
臨済宗法燈派に所属している新宮市の妙心寺は,神倉神社への登り口にあります。 元来,尼寺で,本尊は愛染明王。もとは天台宗で平安時代末期の12世紀初頭に永信尼(1枚目の写真,江戸時代前期制作)によって開基されましたが,鎌倉時代末期に法燈国師とその母…
県指定史跡の神倉神社は,熊野速玉大社の南西,権現山の南端に位置する神倉山(神蔵山,標高120m)の山頂に鎮座しています。 1枚目の写真。この神社のご神体は,町中からはっきりと見える「ごとびき岩」と呼ばれる山上の巨岩です。 50年程前に「ごとびき岩」…
7月12日から17日にかけて,子と孫の顔を見がてら,関東地方へ調査旅行に行って来ました。帰って来るや,いつものように早速,地元の新聞に目を通しました。 『紀伊民報』7月16日付けの「石段を舞う勇壮な炎-那智の火祭-」の記事。これは,7月14日におこ…
我が家の中庭では桔梗の花が見事に咲いています。 紀南文化財研究会の会誌『熊野』134号(57頁)が2008年6月に発刊されました。日付は諸般の事情により2008年5月24日になっています。 以下に目次を示しておきます。会員以外の方は和歌山県田辺市のあおい書店…
『紀伊民報』6月20日付けの記事によりますと,和歌山県田辺市中辺路町近露の熊野古道沿いにある,市指定文化財で熊野古道のシンボル的存在でもある牛馬童子石像の首部が切断されていることがわかりました。 早速,田辺警察署は器物損壊の容疑で捜査していま…
神奈川県藤沢市の遊行寺境内にあります文化財について何回かにわけて話を続けます。 先ず最初に,本堂右手の東街道入口に面した位置にあります,日本史上ことに有名な国史跡の「敵御方供養塔」について紹介します。 この供養塔は,怨親平等の碑とも呼ばれて…
藤沢市の遊行寺と熊野本宮大社との間には,古くから特別な関係が存在していました。 七百数十年前から,遊行上人が上人の位に着く際には,必ず熊野本宮大社に出向き,熊野坐神である家津御子神や宮司を始めとする神社関係者に報告を兼ねた挨拶をおこない,さ…
国際熊野学会平成20年度大会に呼応し,神奈川県藤沢市の遊行寺の宝物館で『特別展 時宗と熊野』が開催されています(1枚目の写真)。 ①,熊野権現からの信託--熊野三山,時宗宗祖一遍上人,一人の僧侶への賦算,熊野成道図-- ②,時宗と熊野をつなげる美…
熊野速玉(新宮)大社の社殿は,明治16年(1883)に火災によってすべてを焼失しました。そのため,昭和28年(1953)に再建された際に社殿構成が大きく改変され,第2殿(速玉宮)が左端に置かれると共に,第1殿(結宮)・第3殿(証誠殿)・第4殿(若宮)が相殿に,さら…
浜ノ宮王子社(熊野三所大神社)と補陀洛山寺は,那智山への入口であり,補陀洛渡海へのスタート地点でもありました。 1枚目の写真にある浜ノ宮王子社の本殿は,3間社流造・桧皮葺きの建物です。中世の形式を色濃く反映した社殿ですが,棟札によると,建立さ…
那智の奥には,平家落人や南朝ゆかりの様々な伝承や遺物で知られる色川地区があります。 1枚目の写真。色川の中心・大野には見事な棚田が展開しています。 2枚目の写真。大野の楞厳院(臨済宗妙心寺派)には,紙本墨刷りの大般若経が収蔵された応永8年(1401…
1枚目の写真。那智勝浦町下和田にある大泰寺(臨済宗)の薬師堂(町指定文化財)は,入母屋造・瓦葺きの建物です。 建立年代を示す史料はありませんが,建築様式から見て室町時代中期に建立されたと考えられています。どちらかというと,禅宗様式の強い中世の仏…
古座川町の明神橋から左に向かって古座川本流を進みますと、20分ほどで相瀬地区にある一枚岩(国指定天然記念物)に着きます。 1枚目の写真は,一枚岩の写真です。 一枚岩は,高さが100m、幅が500mもある巨岩です。熊野層群を貫いた弧状の大岩脈が地表に現…
これらの絵画は,愛知県豊橋市正宗寺にある長沢芦雪の紙本水墨画の掛け軸です。特に面白そうなものを選びました。 1枚目の写真は,大黒図の写真です。1幅の掛け軸です。 2枚目の写真は,鐘馗図の写真です。双幅の掛け軸です。 全体に現れている浪のような…
新宮教育委員会は,1959年に発見された蓬莱山(同市阿須賀)の銅鏡「御正体」194面の中に,奈良時代末期から平安時代初頭にかけて祭祀用として使われた海獣葡萄鏡(これは中国伝来)の模倣鏡が一面含まれていたと発表しました。 蓬莱山は,阿須賀神社の神…
このたび,紀南文化財研究会は,田辺市教育委員会の委託を受け,世界遺産として評価の高い熊野参詣道を田辺市域に限定して総合調査し,報告書『田辺市 世界遺産熊野参詣道 中辺路・小辺路・伊勢路・大峯奥駈道』を田辺市教育委員会に提出しました。 調査員・…