新宮市妙心寺と寺宝

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 臨済宗法燈派に所属している新宮市妙心寺は,神倉神社への登り口にあります。
 元来,尼寺で,本尊は愛染明王。もとは天台宗平安時代末期の12世紀初頭に永信尼(1枚目の写真,江戸時代前期制作)によって開基されましたが,鎌倉時代末期に法燈国師とその母親が住んだことにより臨済宗法燈派になったと伝えられています。

 妙心寺は,神倉神社の諸事の管理運営をする神倉本願4寺(妙心尼寺,宝積院,華厳院,三学院)の1つで,南北朝動乱後は4寺の本願頭として神倉神社に奉仕する神倉聖(行人)や勧進比丘尼を統率しつつ,主に参道の傍らにある「中の地蔵堂」の本願をつとめながら造営修理の先頭に立って活動していました。

 2枚目の写真。最近,「中の地蔵堂」の本尊であった鎌倉時代(13世紀前半)制作の地蔵菩薩坐像が串本町の観福寺に客仏として所蔵されていることが判明しました。大河内氏はこれを慶派の作品と推定。
 その色彩に驚かないでください。これはあくまでも江戸時代から現在にかけて塗られたものです。本来の色彩ではありません。

 江戸時代になり,妙心尼寺以外の他の寺が熊野三山の社家と本願との争いの中で修験寺化した後は,京から公家の女を住持に迎え,唯一の神倉本願としてその職を果たしていったようです。

 なお,妙心寺には,県指定文化財鎌倉時代の木鉢(3枚目の写真)や,江戸時代前期制作の清徳尼(4枚目の写真)・永信尼坐像などが所蔵されています。
 木鉢は,仏具の一種で,僧侶が人家を回り喜捨を請う托鉢の際に使用されたものです。この木鉢は,法燈国師の遺品とされていますが,木製の素地に黒漆が固く塗られており,まさにその頃作られたものであることがわかります。
 その時代を超えたフォルムの素晴らしさに私も感服。
 
 これらの写真は,『和歌山県立博物館編『世界遺産登録記念特別展 熊野速玉大社の名宝』(2005),安藤精一編『和歌山県文化財 第3巻』(清文堂,1982)より掲載させていただきました。