智証大師帰朝1150年特別展・国宝三井寺(園城寺)展が開催中。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

 現在,智証大師(円珍)帰朝1150年特別展・国宝三井寺展が,11月1日から12月14日まで,大阪市立美術館で開催中です。

 三井寺は別名・園城寺ともよばれています。三井寺は元来,近江国滋賀郡の豪族・大友村主氏の氏寺として白鳳時代に建立されましたが,貞観4年(862)に円珍(814~891)が別当として再興し,貞観8年(866)に「天台別院」(その別当には円珍血脈の僧をあてることが決められた)として発足したという。なお,円珍の母は弘法大師空海の姪にあたっています。

 1枚目の写真。今回の図録『智証大師帰朝1150年特別展・国宝三井寺展』です。321頁におよぶ大部な図録で,定価は2500円です。内容が充実しています。是非,お買い上げください。

 2枚目の写真。厳しくも優しい姿を伝える有名な「智証大師坐像(御骨大師)」(国宝)です。円珍の遺骨を納めていると伝えられているため,通称・御骨大師とよばれています。壮年期(50代頃)の円珍の姿を髣髴とさせる,と評されています。
 普段,唐院大師堂に安置されています。
 檜材の一木造りで,平安時代の9世紀に制作されたと推定されています。

 3枚目の写真。これまた有名な「不動明王画像」(国宝)です。これが日本三不動の1つと称される「黄不動」です。
 円珍が岩窟で坐禅修行中の承和5年(838)に眼前に「金人」(金色の不動尊)を感得し,後に画工に描かせたといわれています。非常に力強い印象を受ける画です。名作ですね。
 平安時代の9世紀に制作されたと推定されています。

 4枚目の写真。「円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書」(国宝)です。円珍没後の延長5年(927)に天台座主法眼和尚位円珍に法印大和尚位と智証大師号が贈られた時の勅書です。
 有名な三蹟の1人・小野道風の筆になるもので量感あふれる重厚な書体で書かれています。小野道風の書体を直眼で観たのは初めてであったので,非常に感動しました。

 5枚目の写真。円珍自筆の「病中言上書」(国宝)です。これは,病床にあった円珍が死期を予測しながら,,寺務や儀式などについて細かい指示を自筆で記したものです。
 円珍最晩年の書としてその人柄が偲ばれよう。しかし,それにしても円珍さん,字はあまり上手でなかったようですね。安心しました(笑)。

 6枚目の写真。これが秘仏の「不動明王立像」(国指定重要文化財)で,「黄不動」の模刻像です。鎌倉時代に制作されました。
 普段は唐院大師堂に秘仏として厳重に安置されています。作者は,鎌倉時代初期に慶派の中心的存在として活躍した仏師であろうと推定されています。保存状態は極めて良いです。

 7枚目の写真。今回の展示で注目されたのが,この三井寺行者堂に安置されている「不動明王坐像」です。後世の改変を多く受けているため,長く鎌倉時代以降のものと考えられていましたが,つい最近,東寺講堂に安置されている9世紀前半制作の不動明王像に次ぐ可能性をもった9世紀制作の不動明王像であるとする見解が出されました。
 伝来については不明ですが,円珍時代に遡る三井寺所蔵の不動明王像として特に注目されます。
 ただ,写真ではわかりませんが,近くで実見してみてかなり傷みが激しく痛々しい思いにとらわれました。

 8枚目の写真。西国三十三所観音霊場14番札所の三井寺観音堂秘仏本尊として有名な六臂の「如意輪観音菩薩坐像」(国指定重要文化財)です。檜材の寄木造りで,平安時代の10世紀末頃に制作されたと推定されています。

 11世紀後期以降,三井寺(園城寺)の高僧が熊野三山の最高職である熊野三山検校職に補任されるようになった結果,熊野三山は寺門派の一員となりました。両者の関係を窺わせるものを探して廻りましたが,また機会があればいくつか紹介したいと思っています。

 今回は,展示品のほんのごく一部の展示品だけを紹介しました。
 皆様方に,是非行って実見されることをお勧め致します。

 なお,2枚目から8枚目までの写真は,すべて『智証大師帰朝1150年特別展・国宝三井寺展』から掲載させていただきました。