「生島足島神社文書」3通(安堵状・朱印状)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

 長野県上田市生島足島神社には,国重要文化財に指定されている『生島足島神社文書』94通があります。その多く(88%)が熊野牛王紙を使用した起請文です。

 熊野牛王紙は,和歌山県の熊野三社(熊野本宮大社・熊野新宮大社・熊野那智大社)ごとにその様式は違っていますが,生島足島神社の起請文にはすべて熊野那智大社那智滝宝印の料紙が使われています。

 生島足島神社の宝物をというリクウェストにもとづき,ここでは熊野牛王紙を使用した起請文以外の「生島足島神社文書」を3通,紹介します。

 1枚目の写真。『生島足島神社文書』の図録です。

 2枚目,3枚目の写真。この天文22年(1553)8月5日付けの文書は,東信濃の国主となった武田晴信(信玄)が下之郷上下宮(生島足島神社)に仕える供僧や大祝などの神官に宛て,神社の社領や礼賛祭祀をこれまで通り認める判物即ち安堵状です。
 武田晴信の花押(サイン)もあります。読み下せますか。

 4枚目,5枚目の写真。この2月8日付け<天正14年(1586)頃>の文書は,坂木筋・庄内筋・塩田筋の領主であった上田城主の名将・真田昌幸が,生島足島神社に対し,これらのいずれの郷村においても,柳の木を切ることを認めた朱印状です。
 
 6枚目,7枚目の写真。この8月11日付け<辛丑慶長6年(1600)頃>の文書は,上田城主であった名将・真田信幸(真田幸村の兄貴)が,下之郷社の六供僧や社人衆に対し40貫文を寄進したことを記した朱印状です。真田信幸は大好きな武将の1人です。