遊行寺境内にある国史跡,「敵御方供養塔」について

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 神奈川県藤沢市遊行寺境内にあります文化財について何回かにわけて話を続けます。

 先ず最初に,本堂右手の東街道入口に面した位置にあります,日本史上ことに有名な国史跡の「敵御方供養塔」について紹介します。

 この供養塔は,怨親平等の碑とも呼ばれています。

 この供養塔は,そもそも室町時代前期の応永23年(1416)に,関東管領上杉氏憲が主君の関東公方足利持氏に叛いて戦いに敗れた際に,14世遊行上人太空に率いられた遊行寺の僧侶や時宗門徒達が敵味方の区別なく戦傷者を収容・治療し,戦死者を平等に弔りましたが,応永25年(1418),戦死者達を供養するため三回忌の法要を営んだ時に建立されたものです。

 この遊行寺の僧侶や時宗門徒達の行為は,時宗という宗教そのものの性格を物語る重要な行為であり,今でも多いに称賛されております。

 クリミア戦争の際に敵味方なく戦傷者を収容・治療したあのナイティンゲールの行動に遡ること400年以上前に,この日本に同じような行動を取り,死者を埋葬した人々がいたことを,私達は忘れてはならないでしょう。