熊野古道

熊野古道・小和瀬橋から請川まで小雲取越えの道を歩く。 №②

【承前】 「熊野古道・小和瀬橋から請川まで小雲取越えの道を歩く。№①」の桜峠からの続きです。もう一度、関係する地図をあげておきます。上の部分を参照。 桜峠から下り上りの坂道をへてスギ林の中にある石堂茶屋跡に到着。歩行時間は30分。 道の上りの途中…

熊野古道・小和瀬橋から請川まで小雲取越えの道を歩く。 №①

10月13日、田辺あるこう会のメンバーと共に、熊野古道・小雲取越えの道を歩くため、新宮市熊野川町小和瀬の駐車場に車3台で集合。地図の下(南東)から上(北西)へ向かう。歩行距離12km。 右手に、小和瀬渡し場跡、左手に、熊野川に流れを注ぐ赤木川(清流…

三木峠・羽後峠をへて賀田へ

八鬼山越えの翌日の12月10日、田辺の歩こう会のメンバー(男女あわせて14名)と再び熊野古道伊勢路を歩きました。 この日歩く予定だったのは、三木里の登山口から三木峠(みきとうげ、標高約120m)とその近くにある展望台をへて農道に降り、さらにそこから…

西国一の難所・八鬼山を歩いて越える。 №2

九木峠(標高522m)からは九鬼町へ下る道が通じている。 休憩した結果、すっかり身体が冷えてしまったが、 私達はそちらへは向わず尾根の道を上へと進む。 ジグザグの石段の道を上ると、やがて三宝荒神堂(日輪寺)に到着。 ここは修験者によって開かれた所…

西国一の難所・八鬼山を歩いて越える。

尾鷲市の中心街と山々。向こうに見えるのは紀伊と志摩そして伊勢の国境の山々。晴れてはいるが雲の多い天気が続く。 12月9日、田辺の歩こう会のメンバー(男女あわせて14名)とともに、尾鷲市の八鬼山越えの登山口を出発。 1500万年~1400万年前の火山活動…

近露-野中往復のノルディック・ウォーキング

昨日(1月28日)、ポールスティックを両手にノルディック・ウォーキングで熊野古道を歩くという行事に参加して来ました。熊野古道といっても近露と野中の間を往復3時間位で歩くというだけのものでしたが、友人の紀州語り部K氏(今回の行事はK氏の紹介に…

熊野古道平安衣装撮影会(続)

田辺市野中での熊野古道平安衣装撮影会を続けます。 テーマはモデルと、撮影者(カメラマン)、撮影現場で偶然出会った旅行者(ツーリスト)との絡みといったところです。 モデルを指導している薄緑のジャージーを着たK氏の後ろ姿も写っています。(↓) 未だ…

継桜王子跡・とがの木茶屋付近で熊野古道平安衣装撮影会開かれる。

11月20日、和歌山県田辺市中辺路町野中の継桜王子跡・とがの木茶屋付近で、熊野古道平安衣装撮影会が開かれました。その時、多くの写真を撮りましたが、いくつかの写真を紹介します。 なお、モデルをしていただいた女性たちにはすでに掲載許可をいただいてい…

国際熊野学会のお知らせ

国際熊野学会のお知らせを掲載させてもらいます。 今回、初めて熊野の北端・三重県紀北町紀伊長島区東長島で開かれます。 今回のセミナーで紹介される予定の熊野市若山家所蔵の 「若山家善根宿納札」2例をあげておきます。

先週末に短距離熊野古道散歩をしてきました。

先週末に短距離熊野古道散歩をしてきました。 ある目的のため、十丈王子(じゅうじょうおうじ。中世では重點王子と表記された)で十丈出身の友人(語り部のk君)と待ち合わせをしていたので、10時ごろ、高原(たかはら)の駐車場に車を置き、寄り道をしつ…

三重県立熊野古道センターにて。

さて、いよいよ今回のミニ旅行の最終目的地である尾鷲市向井の三重県立熊野古道センターにやってきました。 ここは、熊野古道(「伊勢路」)の世界遺産登録を記念して、三重県が熊野古道を訪問する人々に熊野古道や古道周辺地域の情報を提供し、地域の人々との…

春に向けて熊野古道を歩く楽しみ

熊野古道に癒しの効果があることがあらためて確かめられました。 私は熊野古道のみならず熊野の山々をかなり踏破してきましたが,その魅力が消えることはありません。 一時期,心臓病で山へ登れず里歩きで我慢していた時期がありましたが,少しずつ元気を取…

大峰奥駈道-七越峰から備崎経塚跡をへて大斎原まで-

11月30日,国際熊野学会に参加された方々とともに,大峰奥駈道(おおみねおくがけのみち)の入口の部分(見方をかえれば出口の部分)を,七越峰(ななごえのみね)から備崎経塚(そなえざききょうずか)を通って下ってきました。 写真は,七越峰から備崎経塚跡までの…

新宮丹鶴城跡

1枚目の写真は新宮城下町の絵図です。 熊野速玉大社の東方にある丘陵・丹鶴山には,元々,熊野別当家の嫡流である新宮別当家の別邸や,平安時代末期の大治5年(1130)に源為義女「たつたはらの女房」(別名「熊野鳥居禅尼」)が夫の熊野別当行範(1115~1173)の…

新宮市東仙寺の仏像と寺宝

平安時代末期,源為義の娘で,源行家(新宮十郎義盛)の実姉でもあった「たつたはらの女房」(別名「熊野鳥居禅尼」)は,自らが開基となって,大治5年(1130),丹鶴山に東仙寺を建立しました(『紀伊続風土記』)。 鳥居禅尼は,夫に当たる19代熊野別当行範の死後…

新宮市別当屋敷町から山際地にかけての寺院及び文化財

熊野速玉大社近くの別当屋敷町の南を堀端通りがほぼ東西に通っています。 町名の由来は,当地にあった平安時代末期の鳥居在庁の住房を起源とする熊野別当屋敷跡があったことによるといわれています。 ところで,戦国時代に,戦国大名として台頭しつつあった…

田辺市本宮町の本宮竹の坊屋敷跡と大智庵

旧熊野本宮大社跡である大斎原から音無川を渡り,西鳥居から外に出た目の前の高台を上った所に,県指定史跡の本宮旧社家竹の坊屋敷跡や大智庵があります。 1枚目の写真。本宮竹の坊屋敷跡は,現在,本宮小学校の敷地内にありますが,院政時代の一時期に上皇…

田辺市本宮町・大日越え山道沿いの石仏と板碑

田辺市本宮町の熊野本宮大社の南側にある大日山(標高369m)の北側の峠を越えて湯ノ峰に達する大日越えの山道があります。 『中右記』天仁2年(1109)11月1日条によりますと,藤原宗忠は本宮から湯ノ峰に向かったが,この時に通った道はこの大日越えの山道で…

田辺市本宮町にある湯ノ峰温泉と東光寺

1枚目の写真。江戸時代の湯ノ峰温泉の絵図です。四村川の支流・湯峰川河畔にある本宮最古の温泉・湯ノ峰温泉には数多くの見所があります。もう既に消えてしまった三重塔などの文化財が目に付きます。現在のそれと比較してください。 この温泉は,初代の熊野…

阪和自動車道延伸と熊野古道

2008年6月14日付けの『紀伊民報』の記事によりますと,阪和自動車道が田辺まで延びた結果,自動車を利用して熊野古道を歩く観光客が増加しているそうで,田辺市の中辺路町観光協会が続けている有料の「搬送サービス」の実績にそれが表われているそうです。 「…

3体月鑑賞地をはさむ熊野古道

1995(平成7)年10月,青年たちを連れて滝尻から近露まで道々説明しながら熊野古道を歩きました。 1枚目の写真は,3体月鑑賞地手前の杉林を通る道の写真です。 2枚目の写真は,3体月鑑賞地に設けられた休息施設で,3枚目の写真はそこから見た熊野の山々…

12年前の田辺市(旧中辺路町)十丈坂から逢阪峠にかかるかなり手前の熊野古道

1995(平成7)年10月,青年たちを連れて滝尻から近露まで道々説明しながら熊野古道を歩きました。未だ「語り部」なんていなかった頃の写真です。その時の写真が出てきました。 未だ整備が十分におこなわれる前の写真です。何かの参考になればと思い,十丈峠を…

現在の「ささやきばし」と近代以前の「ささやきばし」の位置

1枚目の写真は,新設なった現在の本宮の「ささやきばし」の写真です。そして,2枚目の写真はその「ささやきばし」から見た「大斎原(旧熊野本宮大社)」の新大鳥居とかつての東鳥居跡付近を撮った写真です。 しかし,近代以前の「ささやきばし」の位置はここ…

現在の熊野本宮大社の傍らに残る明治22年以前の古道の石段と石畳

久し振りに本宮まで足を延ばしました。 幕末の絵図の上に残りながらも,もうすでに破壊された遺跡。 それも大斎原に旧熊野本宮大社があった時代の例大祭の「御旅所」(かつての「耳語橋」〈ささやきばし〉の近辺にあったようです)や,田辺系統の熊野別当であ…

「小広峠」と「小広王子社跡」をめぐって

田辺市中辺路町野中の東端部の「小広峠」(こびろとうげ)に,「小広王子社跡」(こびろおうじしゃあと)があります。「小広王子社」は熊野九十九王子の一つとして知られています。 「小広」(こびろ)という地名の初見は,平安時代後期の貴族・藤原宗忠の日記であ…

「熊瀬川王子社跡」と古道に関する幾つかの異論

「小広峠」から少し下って熊瀬谷の橋を渡ると,山道にさしかかります(1枚目の写真)。「熊瀬川王子社」(くませがわおうじしゃ,2枚目の写真)は,「小広峠」・「小広王子社跡」から〇・七㎞程離れた場所にあります。ここまでの所要時間は一五分です。近くに…

熊野古道・岩神王子社付近で祭祀されていた「夫婦坂観音」の消息

先日の紀南文化財研究会の5月例会で,「熊野古道調査報告-小広峠・小広王子社から大斎原(旧熊野本宮大社)まで-」を20分でおこないました。 発表後,田辺市のH氏から岩神王子社付近に祀られていたという「夫婦坂観音」の情報を頂きました。今はどこで祀ら…

「大斎原(旧熊野本宮大社)」(後編)

写真は,大斎原から経塚群で有名な備崎を撮った写真です。スモツグのため少し写りが悪いですね。 では,本文を続けますが,『本宮町史』を大いに参考にさせていただきました。関係者各位に感謝申し上げます。いずれにしても,『熊野古道調査 小広峠~本宮庵…

「大斎原(旧熊野本宮大社)」(中編)

『後鳥羽上皇熊野御幸記』建仁元年(一二〇一)一〇月一六日条に,藤原定家らは「祓殿」から歩いて御前に参りましたが,「過山川千里,遂奉拝宝前,感涙難禁」と感想がつづられています。彼等は,いったん宿所に入り,明け方遅くに「祓殿」へ帰参したようです…

「大斎原(旧熊野本宮大社)」(前編)

「熊野本宮大社」(「熊野坐神社」・「熊野十二所権現社」ともいわれています。上四社・中四社・下四社,あるいは三所権現社・五所王子社・四所明神社からなる)は,かつて熊野川とその支流の合流地点に形成された広大な中州である「大斎原」(おおゆのはら)に…