田辺市本宮町の備宿遺跡と備崎経塚

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 熊野川を挟んだ大斎原の対岸に,備崎丘陵があります。ここは大峰奥駈けの道の始りであり終点でもありました。

 1枚目の地図(山本義孝氏の論文「山岳信仰遺跡を読み解く(一)-玉置山・備崎-」<紀南文化財研会誌『熊野』132号・133号合併号>より掲載)。この備崎丘陵には,備宿遺跡とその関連遺跡である備崎経塚,さらには海神社跡など,たくさんの遺跡があります。
 備宿遺跡は,熊野から入り吉野へ抜ける順峰の第1宿に当たっており,広い意味で備崎丘陵の森一帯をさしているといえます。備宿遺跡は,礼拝所のある磐座群および石窟(胎蔵窟・金剛窟)と,納経所である備崎経塚,さらには参籠所と標高159mの最高所にある神仏の宿る「神仏界」とから構成されており,まさに熊野権現垂迹の地に相応しい遺跡であるといえます。

 2枚目の写真。埋経の場所として逸早く学会に紹介された備崎経塚は,12世紀から14世紀にかけての大経塚群です。
 ここからはすでに,京都の松尾社一切経の願主として有名な秦親任が檀越となって保安2年(1121)に大般若経を納入した渥美焼の外容器と銅製の経筒(以上の品目は,国宝として現在,東京国立博物館に保管中)が発見されています。

 さらに,2001年度の発掘調査によって39基の経塚が確認され,3枚目の写真の銅製薬師如来立像や青白磁合子,経筒片などが出土しています。

 現在,整備が進められていますが,どのように復原整備するか,難しい問題をはらんでいるようです。

 これらの写真は,備崎経塚群発掘調査委員会・和歌山県本宮町教育委員会編『熊野本宮備崎-経塚群発掘調査報告書-』(2002)より掲載させていただきました。