田辺市本宮町の本宮竹の坊屋敷跡と大智庵

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 旧熊野本宮大社跡である大斎原から音無川を渡り,西鳥居から外に出た目の前の高台を上った所に,県指定史跡の本宮旧社家竹の坊屋敷跡や大智庵があります。

 1枚目の写真。本宮竹の坊屋敷跡は,現在,本宮小学校の敷地内にありますが,院政時代の一時期に上皇女院法皇らが参詣してきた時に宿坊として利用されたといわれています。

 ただ,竹の坊が歴史上に御師として姿を表わしてくるのはどちらかというと室町時代のことなので,その時代に武士や庶民のために利用されたことは確かでしょうが,その場所の利用が院政時代にまで遡るかどうかはわかりません。

 竹の坊屋敷跡のちかくにある大智庵には,室町時代(大河内氏はこれを江戸時代と判定)に製作された県指定文化財の家津御子神像(2枚目の写真)と室町時代後期に制作された本尊の薬師如来坐像(3枚目の写真)が安置されています。

 このほかに,寛政11年(1799)に光格天皇修験道を確立した役小角の功績を讃えて『神変大菩薩』の称号を下し与えたことを刻んだ石碑や,江戸時代末期に熊野三山総代として手腕を振るい熊野本宮大社の治水のための堤を築いた玉置縫殿正盛の墓地(市指定文化財)が造営されています。

 なお,廃寺・井泉寺境内には,江戸時代後期の本草学者として有名な畔田十兵衛伴存墓(4枚目の写真)があり,これは県史跡に指定されています。

 世界遺産熊野古道からややはずれているため,観光からやや取り残されがちのこの高台の道筋の家々にも是非注意を向けて下さい。この辺りから旧光明寺墓地にかけて思いがけない発見があるかもしれません。

 これらの写真は,旧本宮町教育委員会編『本宮の宝物』と和歌山県立博物館編『世界遺産登録記念特別展 熊野本宮大社熊野古道』(2007)より掲載させていただきました。