細見美術財団蔵の「熊野十二尊本地懸仏」

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 この作品は,鎌倉時代末期に制作された細見美術財団所蔵の「熊野十二尊本地懸仏」で,懸仏を代表する名品中の名品といわれています。
 懸仏とは,近代以前の神仏習合時代の日本において,神社の本地仏を取り付けた鏡形の金属板を神殿内などに懸けて崇拝の対象としたもので,「御正体」とも呼ばれています。

 しかし,この「熊野十二尊本地懸仏」の中の本地仏を数えてみると,仏像は12尊ではなく13尊あることに気付きます。
 厳密にいえば,本来の名称は「熊野十三尊本地懸仏」とすべきでしょう。

 ではなぜ,「熊野十二尊本地懸仏」になっているのでしょうか。単純な間違いなのでしょうか。

 実はこれには理由があります。熊野山,すなわち本宮(熊野本宮大社)および新宮(熊野速玉神社)では,熊野十二所権現が祀られていました。つまり,普通なら「熊野」とくれば「十二尊」すなわち「十二所」で正解なのです。

 では,熊野山ではなく那智山すなわち熊野那智大社ではどうでしょうか。
 那智では12神ではなく13神が祀られています。つまり,12神以外に1神「滝宮」(那智の大滝)が追加されています。それゆえ,熊野那智大社は別名,熊野十二所権現社とも熊野十三所権現社ともいわれています。
 となると,これは那智に奉納されたものと考えるべきなのでしょうか。

 ところが,那智では,那智の主神である「結神」(本地仏は千手観音)は仏像としては「滝宮」の本地仏と同じ存在と考えられています。
 では,この懸仏に千手観音が2体張り付けられているでしょうか。
 しかし,いくら探しても千手観音は2体ありません。1体だけです。

 答えは,向かって左側の上下2体の仏像にあります。この2体の仏像は,普賢菩薩文殊菩薩を表わしています。神名としては一万・十万と呼ばれていますが,この2神は熊野三山においては同じ神殿に祀られています。つまり,神殿の数の上では1(相殿)と数えられているわけです。

 ということは,この懸仏が熊野山(本宮,新宮)に奉納されたものと仮定すれば,十三尊本地仏が張り付けられているのに,その名称は「熊野十二尊本地懸仏」で正解ということになります。
 まあ,私は「熊野十三尊本地懸仏」という名称の方がすっきりすると思うのですが・・・・(笑)。

 なお,この写真は,青柳恵介構成『別冊太陽100号記念号 101人の古美術』(平凡社,1997)より掲載させていただきました。