洪水が多発した平安時代

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 我が家では現在,私の大好きな白色や紅色のムクゲの花が咲き誇っています。

 『朝日新聞』7月10日付けの文化欄の記事「歴史に探る気候変動 <中> 洪水が変えた平安時代」によりますと,「氷河期から温暖化して縄文時代を迎えた日本列島は,縄文の終わりごろから再び寒冷化し弥生時代を経て古墳時代に少し暖かくなり」,また寒冷化しました。さらに「平安時代に温暖化」し,また「鎌倉時代ぐらいから寒冷化したこと」がわかってきたそうです。

 平安時代に話を限り具体的にいいますと,蛍の和歌が多く登場する「10世紀には洪水が多発」し,「11世紀には地域の支配者が交代した」そうです。

 そういえば,平安時代熊野古道や,本宮と新宮を行き来する旅人にとって,川は油断するとこっぴどい目に合わされる対象だったのでは,と思わせる記録が時おり出てきます。

 11世紀末期に熊野参詣した藤原為房は石代(岩代)から舟に乗り,田辺の会津川河口で上陸せずそのまま「大方浦」(田辺市文里港から新庄町にかけてかつてあった大潟)で上陸し山を越して三栖方面にむかっています。
 また,12世紀中頃,平清盛が熊野詣の途中で宿泊し都での異変を聞いた,会津川河口にあった「田辺宿」は,「二河宿」ともよばれていたようです。河口が2つに分かれていたためでしょうか。

 今後,このような新しい研究動向を真剣に受けとめ,色々と考えてみたいと思います。