#歴史

カンボジア・シェムレアップの子供たち

12月11日(4日目)、最初に見学したカンボジアのベンメリア遺跡で見かけた子供たち。裸足の子供が殆どである。 12月12日(5日目)、バンテアイ・スレイ寺院で出会ったポスト・カードを売っていた子供たち。ポスト・カードを1$で買う。 バンテアイ・スレ…

カンボジアのプノン・バケンの丘の上から夕陽を見る。

12月12日午後4時38分、かなり曇っているが、アンコール3聖山の1つでアンコール・トムの近くにあるプノン・バケン(標高約60m)に大勢の人々とともに登り始めました。さすが夕陽見物人気ナンバー1の山(プノン)だけあってたくさんの人達が登っていました…

徳島県立博物館の「特別陳列 海を渡った人形と戦争の時代」展の図録などの紹介。

徳島県立博物館学芸員の長谷川賢二氏から、2010年7月17日~9月5日にかけて徳島県立博物館で開かれた徳島平和ミュージアムプレジェクト実行委員会主催の「特別陳列 海を渡った人形と戦争の時代」展の図録をご恵贈いただくと共に、氏が書かれた「平家と阿…

川合康編『歴史と古典 平家物語を読む』と『源平合戦の虚像を剝ぐ―治承・寿永内乱史研究―』

日本大学経済学部教授の川合康氏から、川合康編『歴史と古典 平家物語を読む』(吉川弘文館、2009)と『源平合戦の虚像を剝ぐ―治承・寿永内乱史研究―』(講談社、1996→2010)をご恵贈いただきました。後者は既に読ませていただいていましたが、前者は始めて…

「源行家」についての私見

来年のNHKの大河ドラマ「平清盛」で脚光をあびるであろう「源行家」についての私見を要約しておきます。 源行家(生年不明〜1186)は,源為義の10子で本名を義盛といいました。保元・平治の乱後、同母姉「たつたはらの女房」(夫行範の死後、「鳥居禅尼」を…

白山信仰に関連する施設.の巡検 №④ .. 白山平泉寺遺跡

平泉寺城跡として国史跡に指定されている、越前の白山神社境内の南北一帯には、平泉寺遺跡があります。平泉寺は、応徳元年(1084)に延暦寺(天台宗山門派)の末寺になりました。しかし、久安年間(1145〜50)、園城寺(天台宗寺門派)長吏・3代熊野三山検校覚宗が…

白山信仰に関連する施設.の巡検 №③ .. 越前の白山神社

11月1日に、福井県勝山市にある、国史跡に指定された平泉寺城跡の中に含まれる越前の白山神社の境内を巡検しました。 奈良時代初期に白山を開いた泰澄大師の御廟にお参りしました。 参道を一の鳥居に向かいました。左の階段を上ると、平泉寺の塔頭・顕海寺…

白山比咩神社宝物殿蔵の木造狛犬一対と御影史学研究会定例会

白山比咩神社宝物殿の奥まった所に展示されていた国重文の木造獅子・狛犬2対のうち奥州藤原氏寄進と伝承される黒漆塗りの1対の写真が手に入りましたので、おそくなりましたが、パンフレットから紹介します。むかって右側が阿形の獅子,左側が吽形の狛犬で…

日本山岳修験学会・白山学術大会開始。

昨日は大阪市の堂島川の畔のホテルに泊りました。 今朝、ゆっくりと特急サンダーバード9号に乗り込み、石川県小松駅に着きました。あの小松空港・小松基地のある町です。小松駅を出発した直後のサンダーバードを写しました。 私はこれから各駅停車の電車で…

日本山岳修験学会・白山学術大会

畑にこじんまりとした可愛い花が咲いていました。ジャガイモの花かなあ?? 【訂正】改めて義母に聞いたところ、この花はインゲンマメの花ということでした。誤解を与えたことを、訂正してお詫びします。 今年の日本山岳修験学会・白山学術大会は、10月30日(…

バラの花が咲き、『御影史学論集』35発刊さる。

いつものピンクのバラが咲き始めました。雨後のバラのピンクの花弁や葉からたれてくる滴の色に染まってしまいそうです。 神戸市を拠点とする御影史学研究会が『御影史学論集』35(2010.10)を発刊しました。 この論集は、論文4編、大学卒業論文要旨3編…

火雨塚古墳、恵比寿神社、そしてキャンドルイルミネーション

16日の熊野三所神社の例大祭・宵宮祭の時に、序に縁あるものを写してきました。 1つ目は、そもそもこの神域がいったい誰のものであったかということを物語る古墳の存在です。この古墳は、火雨塚古墳(ひさめづかこふん、県史跡)といいます。6世紀後半に築造…

「牟婁崎」と「英虞崎」。そして「阿古志神社」。

桐村英一郎氏の案内で、熊野市波田須町波田須から海岸線を東に進み、同市二木島町「太郎坂広場」に到着。 「二木島湾」が大きく口を広げて横たわっています。湾口の右手(西)にある岬を「牟婁崎」(むろざき)、ちょうど真ん中に位置して見える左手(東)…

三重県熊野市波田須の徐福の宮(祠)と半両銭

昨日、熊野市波田須に行ったのは、ここが中国秦帝国の始皇帝の命令を受けて渡来した徐福が上陸したといわれている土地だからです。 波田須からは熊野灘を一望の下に見ることができます。ほんと、見晴らしがいいですね。徐福が不老長生の仙薬を求めて上陸し…

和歌山県白浜町観福寺の2世住持覚元について №③

1988年に沖縄・与論島を家族旅行した際に撮った写真を2枚紹介します。 1枚目の写真は、守礼門近くにある国重文で世界文化遺産に指定されている「園比屋武御嶽石門」(そのひやんうたきせきもん)の写真です。この「園比屋武御嶽石門」は、背後にある聖な…

和歌山県白浜町観福寺の2世住持覚元について №②

先日、1988年に沖縄・与論島へ家族旅行をした際に撮った写真(「守礼之門」)を紹介しました。 今回は、琉球王国第二尚氏王朝歴代の王墓である「玉陵」を紹介します。国史跡・国重文に指定される以前の「玉陵」です。現在は世界文化遺産に指定されてい…

和歌山県白浜町観福寺の2世住持覚元について №①

和歌山県白浜町観福寺の2世住持覚元について №① 1 鎌倉時代後期の禅僧で、和歌山県白浜町富田高井にある臨済宗の観福寺の第2世住持でもあった覚元禅師(生年不詳〜1326)の事跡について、『白浜町誌』などで既に知られた事実以外に由良興国寺とのは…

写経切れの「大方広仏華厳経」の断簡と理源大師聖宝

会議が終わった後、すぐに帰って来ました。 仕事とはいえ、疲れました。まあ、ゆっくりと行って来まし たし、東京は珍しく涼しかったので、身体に変調はなかった です(笑)。、 今度は写経切れの「大方広仏華厳経」の断簡 を紹介します。 これは奈良時代末…

再生し、今後も歴史研究を続けていく上で新たに決意した事

ハイビスカスも華やかに咲いています。何か心が燃え上がってきそうです。 私が今後も熊野地方を含む紀伊半島の歴史研究を続けていく上で絶対必要なものだと思ってこれまで熟読して来た、祢津宗伸「補論2 地域史の概念」(『中世地域社会と仏教文化』〈法蔵…

国際熊野学会の『熊野学研究』創刊号のこと。

以下に紹介するものは、カメの甲羅に一定の刻み目を入れ、未来に起こりうる吉凶など、色々なことを焼いて占った、古代の亀卜に使われたものです。 熊野地方でも亀卜が盛んにおこなわれていたと思いますが、証拠の品はまだ見つかっていません。 ところで、国…

研究誌・研究成果報告書のご恵贈、ありがとうございました。

いつも全国の色々な研究機関やそこで研究しておられる学芸員の方々にお世話になっています。 今回は、神奈川県立金沢文庫の永井晋氏と西岡芳文氏から図録『中世の港湾都市六浦』(2009年)、研究成果報告書『金沢北条氏領下総国下河辺庄の総合的研究』(201…

昨日、串本の大島に行って来ました。

昨日、和歌山県串本の大島に行って来ました。 故郷に帰れないままに遠く離れた場所で亡くなった叔父の○骨をおこなうためでした。天気も非常によく、空にはアオサギやシラサギ、トビなどが盛んに飛び回っていました。 叔父も喜んでくれたと思います。 その後…

横須賀の病院へ行く途中、金沢文庫と称名寺に立ち寄って来ました。

6月下旬、体調が好い方向に向かいつつあったので、かつてカテーテル手術を受けた横須賀の病院へ行く途中、久し振りに横浜にある金沢文庫に寄って史料を調査して来ようと思いつき、曇天で蒸し暑い中を無理しないようにしながら、鎌倉時代に北条実時一門が創…

国際熊野学会大会フィールドワークの報告 №3 峰定寺所蔵の文化財

また、少し前の5月24日の話に戻ります。 特別にということで、住職さんのご好意により、収蔵庫の中に収められている文化財の数々を拝観させていただきました。 峰定寺は建物を除いても国指定重要文化財が10(個体にして17)あります。 まず、本堂の本尊…

国際熊野学会大会フィールドワークの報告 №2 大悲山峰定寺

5月24日、花背にある大悲山峰定寺に到着。 入り口です。シンプルですね。 『大悲山峰定寺縁起』によると、大悲山峰定寺は、平安時代末期の久寿元年(1154)に、山岳修験僧の「観空西念(山瀧上人)」によって創建された寺院で、大悲山全体が山岳信仰の霊場(聖…

今年も咲いたシランの花と、論文ご恵贈御礼!!

今年もシランがたくさん花を咲かせました。 和歌山県立博物館学芸員の前田正明氏から、「発給文書からみた木食応其の動向――新出史料の紹介をかねて――」(『和歌山県立博物館研究紀要』16号、2010)と「博物館だより」15号(2010)を御恵贈いただきました。 心か…

いつの間にか散ってしまった花と、平安京文化研究会のお知らせ

庭の片隅に咲いていたはずのボタンの花がいつの間にかなくなっていました。あのボタンの花、いつ散ってしまったんでしょうね。 次の平安京文化研究会例会のお知らせです。事務局の山本一也氏から連絡がありました。 例会前に神戸市で福原京関連遺跡の見学会…

田辺市本宮町の湯ノ峰にある宝篋印塔群について

三重県埋蔵文化財センターの伊藤裕偉氏からご高論「熊野街道八鬼山道周辺の中世石造物」(『三重県史研究』24号、2009)、「熊野の中世宝篋印塔集成」(三重県埋蔵文化財センター『研究紀要』第19-1号)をご恵贈いただきました。ありがとうございました。 …

元那智山宝蔵院家の調査でわかってきたこと。

我が庭に白い水仙が咲いています。春が来ました。 ところで、今回の元那智山宝蔵院家の調査で色々なことが分かってきたのですが、別の収穫もありました。 それは、元那智山実報院家の分家である「春光坊家」の系譜が明らかにされたことでした。宝蔵院家がお…

那智山に関係する新宮市の旧家で文書を調査。

3月13日に、那智山に関係する新宮市の旧家(宝蔵院家)に文書調査に行って来ました。途中で見掛けた山桜が非常に綺麗でした。 嬉しいことに、その旧家で、いくつかの新しい発見がありました。 取り敢えず、室町時代から江戸時代にかけてのいくつかの重要な文…