白山信仰に関連する施設.の巡検 №④ .. 白山平泉寺遺跡

 
  平泉寺城跡として国史跡に指定されている、越前の白山神社境内の南北一帯には、平泉寺遺跡があります。平泉寺は、応徳元年(1084)に延暦寺(天台宗山門派)の末寺になりました。しかし、久安年間(1145〜50)、園城寺(天台宗寺門派)長吏・3代熊野三山検校覚宗が平泉寺別当になり、寺門派の末寺になったようです。こうして越前白山修験集団の一大勢力が形成されました。
  11月1日午後、白山神社境内巡検後、この北谷・南谷の六千坊院跡群のうち調査の進んでいる南谷三千六百坊院跡群の東側のごく一部を巡検して来ました。
 
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  平泉寺は、天正2年(1574)に村岡山城に立て籠もった一向一揆衆との戦いに敗れて全山焼失した後、長い間、土に埋もれていました。
  しかし、残されていた田畑や杉林には、坊や道を区画する土塁が縦横に廻らされており、発掘された遺物や遺構から、ここに住んでいた中世の衆徒たちの生活の実態が少しずつ判ってきました。
  現在ここでは、これらの遺構を史跡として保存整備するため、勝山市教育委員会の手によって平泉寺遺跡の発掘調査が長きにわたって行われています。徐々にですが、平泉寺遺跡の全容が明らかにされてきています。
 
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