国際熊野学会大会フィールドワークの報告 №2 大悲山峰定寺

 
 5月24日、花背にある大悲山峰定寺に到着。
 
 入り口です。シンプルですね。
 
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 『大悲山峰定寺縁起』によると、大悲山峰定寺は、平安時代末期の久寿元年(1154)に、山岳修験僧の「観空西念(山瀧上人)」によって創建された寺院で、大悲山全体が山岳信仰霊場(聖地)になっています。北大峰ともよばれ、山中には修験道(しゅげんどう)の行場(ぎょうば)として使用された岩場があります。
 
 まず、寺務所で一服しました。
 
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 住職が出迎えてくれ、厳しい入山作法について教えてくれました。
 「仁王門」をくぐると写真撮影はできないので、カメラやビデオなどの写真器材は出発する前にここにおいていって欲しいとのこと。
 
 昼食後、雨の降る中を雨具をお借りし(傘禁止とのこと)、「仁王門」をくぐりました。
 「仁王門」は、南北朝期の貞和六年(1350)に再建された山門で、国重要文化財に指定されています。
 
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 ここには、平安時代末期の長寛元年(1163)に「沙弥生西」(後世の小山朝政のことで、当時は六歳であった)と平清盛の「家人・平貞能の母尼」の発願により、仏師僧「良源」(良元)が制作した2体の「金剛力士像」(国指定重要文化財)が安置されていました。素晴らしい力士像でしょう。
 この「金剛力士像」の写真は、峰定寺発行の絵葉書から転写させていただきました。
 
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 山門をくぐり滑りやすい石段を登る頃、ありがたいことに雨は殆ど止んでいました。神仏のご加護でしょうか。
 
 休み休みしながら、大悲山の中腹の懸崖に建立された舞台造りの「本堂」に到着しました。
 
 「本堂」は、「仁王門」と同様、貞和六年(1350)頃に建立されたようです。古の熊野那智如意輪観音堂もこんな感じの建物だったんでしょうね。
 写真は、峰定寺発行の絵葉書(前者)と、パンフレットの「京都の自然環境保全地域」(後者)から転載させていただきました。
 
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 見晴らしは抜群でした。