カンボジアのプノン・バケンの丘の上から夕陽を見る。
12月12日午後4時38分、かなり曇っているが、アンコール3聖山の1つでアンコール・トムの近くにあるプノン・バケン(標高約60m)に大勢の人々とともに登り始めました。さすが夕陽見物人気ナンバー1の山(プノン)だけあってたくさんの人達が登っていました。
途中、私の10m程後ろを歩いていた私達の団員の1人が山道で滑って怪我をしたため、近くにいた警備の人に後のことを頼み、先に登った添乗員を追い掛けて、私が急を知らせるハプニングがおこりました・・・・。唇を少し切っただけの大した怪我でなかったのでよかったのですが・・・・。
プノン・バケンのピラミッド(6層)様式の神殿(クメール王国アンコール王朝4代国王・ヤショーヴァルマン1世の時代、9世紀末に建造、ヒンドゥー教のシヴァ神を祭祀)から夕陽を見ることになっていましたが、この5段に分かれた急な石段を這い登らなければ神殿の頂上に着かないとは・・・・。特に下の石段がかなり危険そうでした・・・・。
『世界最後の謎―失われた文明を求めて―』(日本リーダーズ・ダイジェスト、1978)より、以下の写真を掲載させていただきました。感謝します。
既に崩れ去っていた南門の側から入山。
午後4時54分に神殿の頂上に到着。この中央祠堂に、ヤショダルスワラの称号を持つ王神が祀られています。ここからはアンコール全体が見渡されます。
まわりは見物する人々でいっぱい・・・・。
しばらくして、雲の間に見えた夕陽を拝むことができましたが、半円が見えただけでした(泣く)。しかし、下は雲って晴れ間がなかったので、明るいうちに降りることにしました。
私はこんな所は慣れていますし、グアテマラでも経験していましたので、神殿から降りて来るのにどうってことなかったのですが、怖がっている人々もいたため、途中で石段の降り方をレクチュアーしつつ、急な石段をゆっくりと降りました。
そのまま、団員のTさんと色々と話をしながら下山しました。途中、危険な谷側に正座して手を合わせて物乞いをする5歳くらいの少女に出会いました。
その時、ふと日本にいる孫達の顔が思い出されました・・・・。
最後に悲しい話を1つ。
どこでいつ聞いたか忘れましたが、どうもこの後、暗くなった神殿から降りる際に滑り落ちた日本人がいて、その人は翌日亡くなられたそうです。
お気の毒なことです。ご冥福を御祈りし、合掌!!
なお、プノン・バケン神殿を中心に新都ヤショーダラプラを建設したヤショーヴァルマン1世は、稲作農業に安定した水を提供するため、東バライにヤショーダラタ・ターカ(ヤショーダラの貯水池)を築造させた人物で、当時、この貯水池は東西7000m、南北1800メートルに及ぶ広さを誇っていましたが、現在はその跡地を残すのみとなっています。
今回は、この東バライの近辺の寺院などを訪ねることになっていました。