『後鳥羽上皇熊野御幸記』建仁元年(一二〇一)一〇月一六日条に,藤原定家らは「祓殿」から歩いて御前に参りましたが,「過山川千里,遂奉拝宝前,感涙難禁」と感想がつづられています。彼等は,いったん宿所に入り,明け方遅くに「祓殿」へ帰参したようです…
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