熊野鳥居禅尼の東仙寺祈念仏

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 平安時代末期,源為義の娘で,反平氏闘争を呼びかける以仁王令旨を諸国の源氏に伝えた源行家の実姉にあたる熊野鳥居禅尼は,「たつたはらの女房」と呼ばれていました。

 彼女は,19代目熊野別当行範の死後,剃髪して菩提寺東仙寺で夫の菩提を弔うかたわら,6人の男子(那智執行1人,熊野別当2人,『新古今集』の歌人1人,熊野権別当2人)と何人かの女子を育て上げました。
 
 その彼女が祈念仏としていたのが東仙寺の阿弥陀如来薬師如来千手観音菩薩三尊像です。
 ここでは,平安時代末期の阿弥陀如来薬師如来像だけを紹介しておきます。いずれも新宮市教育委員会提供の写真がもとになっています(阪本敏行「熊野別当」〈『別冊太陽 熊野』〉掲載の写真より)。

 新宮へ行かれた方はぜひとも拝観してきてください。