熊野古道

「音無川」

「音無川」(おとなしがわ)は,すでに過ぎて来た「三越峠」付近にその流れを発し(写真はその源流の一つである滝),東流して旧熊野本宮神社社前で熊野川にその流れを注いでいます。 中辺路を歩く参詣者たちはその上流・中流において何度か流れを渡り,最後に旧…

現在の「熊野本宮大社」

「熊野本宮大社」(くまのほんぐうたいしゃ,別名「熊野十二所権現社」という)は,かつて熊野川とその支流の合流地点に形成された広大な中州である「大斎原」(おおゆのはら)に鎮座していました。 しかし,明治二二年(一八八九)の大水害によって社殿の大半を流…

「本宮庵主坊跡」

本宮庵主は,中世後期以降,熊野本宮の造営・勧進を主催し,熊野三山検校の指示で多くの熊野山伏を率い全国をまたに掛けた活動を展開して来た天台修験寺院です。 写真は橋を渡って西側から旧社地跡に入る場面を撮ったものですが,橋を渡り右手の繁みに入って…

中辺路と小辺路の合流地点・「三軒茶屋跡」

「伏拝王子社跡」から「三軒茶屋跡」まで1.2㎞。 道は,「伏拝王子社跡」から再び林の中へ。道幅は広く,所々に石畳が張られています。この石畳は,元和元年(1619)の改修によるものと推定されます。 坂道を南東に下って行くと,桧林の中に石製の道標が建てら…

「和泉式部祈願塔」

実は,「和泉式部供養塔」なるものはもう一つあります。 それは,現在,熊野本宮大社の傍らに「和泉式部祈願塔」として祀られています。 この「祈願塔」は,元来,熊野本宮大社の旧社地にあったそうで,それを移転させてきたものだそうです。 さて,和泉式部…

伏拝集落の菊水井戸

今日,最終確認のため本宮地区を廻ってきました。各々,たくさんの人々で賑わっていました。 ところで,以前から気になっていた菊水井戸(きくすいいど,1つ目の写真)に行ってきました。 菊水井戸は,これ自体,特別な由来があるわけではないですが,持主の…

「伏拝王子社跡」

「伏拝王子社跡」のある「伏拝」(ふしがみ)地域は見晴らしの良い丘の上にあり,辺りには家が散在し,棚田と茶畑・野菜畑などが広がっています。 ここのお茶は江戸時代から栽培が始まり,明治時代以降,「音無茶」(おとなしちゃ)という名で知られています(2…

和泉式部の「供養塔」と「祈願塔」

「伏拝王子社跡」(ふしおがみおうじしゃあと)の石祠のすぐ近くに,「和泉式部供養塔」(いずみしきぶくようとう)といわれる笠塔婆(正確にいうと,笠塔婆上に宝篋印塔の部品を積み重ねた奇妙なもの)か祀られています。 それには「南無阿弥陀仏 施主平□□ 延応元…

「阿弥陀寺跡」

かつて田辺市本宮町の祓殿王子社付近に,鎌倉時代に鎌倉の律宗(りっしゅう)の僧侶によって勧進・再建された阿弥陀寺(あみだじ)があったといわれています。 律宗の僧侶は,当時,本宮の社僧(たとえば熊野別当家出身の鳥居氏など)や神官たちの葬儀に携わってい…

「祓殿王子社跡」

「祓殿王子社」(はらいどのおうじしゃ)は熊野九十九王子の1つとして知られ,県指定史跡です。 その名前の由来は, 「祓殿王子社」が最も熊野本宮(現「大斎原」)に近い王子社で,ここで旅の汚れを祓ったところから「祓殿」と称せられるようになったといわれて…

「水呑王子社跡」

「水呑王子社」(みずのみおうじしゃ)は熊野九十九王子の1つとして知られ,県史跡に指定されています。 「水呑王子社」の初見は,平安時代中期の増基法師の紀行『いほぬし』で,「御山につくほどに,木のもとごとに手向の神おほかれば,水のみにとまる夜」と…

「南無房跡」

『後鳥羽上皇熊野御幸記』建仁元年(1201)10月15日条に,「次発心門,午時許著発心門,宿尼南無房宅」とあります。 「南無房宅」は「発心門王子社」の裏手の,やや低い地点にある庵主屋敷と称される土地だとされています。今から見ると極狭い土地ですね。 藤…

「発心門王子社跡」

「発心門王子社」(ほっしんもんおうじしゃ)は,熊野九十九王子の1つとして知られていました。県指定史跡です。その初見は,『中右記』天仁2年(1109)10月25日条で,「発心門」王子社として登場しています。 なお,「発心門」は,分注にあるように「大鳥居」…

「船玉神社」と,湯ノ峰温泉にむかう赤木越道分岐点。

熊野川にそそぐ音無川上流部の川岸に,「船玉神社」(ふなたまじんじゃ,1つ目の写真)と「玉姫稲荷神社」(たまひめいなりじんじゃ,新社)が鎮座しています。 「船玉神社」は,熊野川の河口部・新宮の対岸にある鵜殿の船乗りたちが崇めた海上交通安全を守護す…

「道ノ川集落跡」

三越峠を音無川源流に沿って下って来た所に,「道ノ川集落跡」(どうのかわしゅうらくあと)があります。この「道ノ川集落」には,廃絶するまで10軒程の家屋があったといわれています。 江戸時代には三越村内小字として「道川」が登場します(『紀伊続風土記』)…

この写真の場所はどこでしょうか。

この写真の場所はどこでしょうか。 おわかりでしょうか。 この写真は,田辺市中辺路町の「熊瀬川王子社跡」から「草鞋峠」(わらじとうげ)に向かい,かなり古そうな石段と石畳が残された「熊瀬川坂」を上がって行く途中で撮りました。 これは,「一里塚跡」(い…

「音無川」源流の「音無滝」

田辺市本宮町三越の「三越峠」(みこしとうげ,標高560m)は,要害森山(標高779m)の北西部に張り出した尾根の鞍部にあります。かつての西牟婁郡と東牟婁郡の郡境です。現在,ここには駐車場,休憩所,便所,水道,非常電話,番号道標(53番)などがあります。 …

廃村となった道湯川集落の「蛇形地蔵堂」が賑わう時。

廃村となった道湯川集落の中を,湯川川が流れています。 参詣者は,熊野街道(中辺路)を草の茂る石垣と湯川川に沿って南下し(1つ目の写真),途中で左折して橋を渡り,三越峠方面に向かうのが普通ですが,その橋の手前を右に行くとすぐに「蛇形地蔵堂」(じゃ…

昭和31年(1956)に廃村となった道湯川集落跡。

この道湯川集落(どうゆかわしゅうらく,田辺市中辺路町道湯川)は,中央部を湯川川が南流する谷間の集落でした。この集落を熊野街道(中辺路)がほぼ東西に貫通し,途中に屋敷跡や田圃跡を囲っていたと見られる石垣が多く残されています。昭和31年(1956)に最後…

これは何の写真だと思いますか。

これは何の写真だと思いますか。場所は,草鞋峠(わらじとうげ)から女坂(めざか)を下り,林道を横切り小川を渡った所にある仲人茶屋跡の近くです。 一見,石造りの家のように見えますが(見えないかな),実はこれは炭焼き窯の跡なのです。後に紀州備長炭として…

3枚の写真と本来の古道

これら3枚の写真は,何の写真だと思いますか。 1つ目の写真は,世界遺産に指定されている熊野古道(岩神峠・林道間)とは違う道です。世界遺産に指定されている熊野古道は,このポイントを左に緩やかに曲がって下っています。しかし,これが私達が本来の熊野…

昨夜,爆睡。

昨夜,熊野古道調査報告をまとめるつもりでいたのですが,ちょっと眠るつもりでそのまま眠ってしまいました。 今日,徹夜してでも頑張らねば,期限におくれてしまいそうです。 今夜,必死で頑張ります。 1つ目の写真は,三越峠から北西部を眺めて撮った写真…

熊野古道の石畳と石段。そして岩神峠越えの難所。

昨日,熊野古道調査のため,古道(小広峠の王子社から熊野本宮大社まで)の中で比較的珍しいかなり古い寺期に造られた石畳や石段がかなり残っている所を歩きました。 それは草鞋峠と岩神峠の間にある,つづら折れの下り道「女坂」とつづら折れの急な上り道の男…

熊野古道調査。

現在,西牟婁郡事務所から依頼されて当文化財研究会で熊野古道調査をおこなっています。私達は前回調査で明らかになった近世以降の古道以外に中世の古道を明確にしようと考えています。 上の写真で言うと,左へ行けば山裾を廻る近世の古道を辿ることになりま…

熊野古道調査

和歌山県田辺市に委託されて紀南文化財研究会で世界遺産に指定された熊野古道の調査をすることになりました。中辺路と大辺路にわかれての調査ですが,8月から11月にかけて土日を使って歩き始めようと思っています。 私は仲間2人と中辺路の小広峠から本宮大…

熊野古道への誘惑

熊野古道に癒しの効果があることがあらためて確かめられました。 私は熊野古道のみならず熊野の山々をかなり踏破してきましたが,その魅力が消えることはありません。一時期,心臓病で山へ登れず里歩きで我慢していた時期がありましたが,最近は好調です。 …