「阿弥陀寺跡」

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 かつて田辺市本宮町の祓殿王子社付近に,鎌倉時代に鎌倉の律宗(りっしゅう)の僧侶によって勧進・再建された阿弥陀寺(あみだじ)があったといわれています。
 
 律宗の僧侶は,当時,本宮の社僧(たとえば熊野別当家出身の鳥居氏など)や神官たちの葬儀に携わっていたようで,熊野地方における律宗勢力の拠点の1つであったと推定されています。
 
 これは北条実時によって創建された金沢(かねさわ)の称名寺(しょうみょうじ)伝来の正応年間(1288~1293年頃)の「勧進帳」に記載されていたものです。この史料は,つい最近,横浜市金沢文庫学芸員の西岡芳文さんによって紹介された史料です。

 阿弥陀寺はすでに廃絶していますが,江戸時代にこの付近にあったと記録されている,本宮支配下常福寺(じょうふくじ)及び医王寺(いおうじ)らの前身となる寺院であったと推察されています。寺跡ははっきりしませんが,墓地が残っています。
  
 1つ目の写真,車道沿いの左の階段を上ると,そこに隠れるように墓地が存在します。右側には,大水害後に移転してきた現熊野本宮大社があります。
 
 階段を上り切った正面に置かれた2体の石像(地蔵菩薩坐像と弥勒菩薩坐像)も素敵ですが,墓群の中にある,鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての宝篋印塔(ほうきょういんとう,2つ目の写真)がまた素晴らしい。上部の相輪は今に残っていませんが,その造りはかなりしっかりしていますし,時代判定の基準となる全体の形態や梵字もかなりはっきりと残っています。

 時代による破損の痕は明らかですが,是非一見されたい。