「道ノ川集落跡」

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 三越峠を音無川源流に沿って下って来た所に,「道ノ川集落跡」(どうのかわしゅうらくあと)があります。この「道ノ川集落」には,廃絶するまで10軒程の家屋があったといわれています。

 江戸時代には三越村内小字として「道川」が登場します(『紀伊風土記』)。

 ここには,当時,旅館のようなものもあったようであります。これは,跡地にいくつかの囲炉裏跡を残す細長い家があることから推定されます。

 なお,川沿いの谷間に,たくさんの棚田の跡が残されています。ここで,米や麦,養蚕のための桑の木が栽培されていたことがわかります。

 江戸時代の天保11年(1840)に成立した長沢伴雄の『湯峰温泉の日記』には道ノ川村の疱瘡のことが書かれています。それによると,村人達は伝染病の疱瘡を恐れて家を閉じ縄を張って自らの身を守ろうとしたといわれています。そのため,疱瘡に罹った者は山奥に小屋を作って捨てておかれたようです(熊野中辺路刊行会編『熊野中辺路 歴史と風土』)。