「南無房跡」

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 『後鳥羽上皇熊野御幸記』建仁元年(1201)10月15日条に,「次発心門,午時許著発心門,宿尼南無房宅」とあります。

 「南無房宅」は「発心門王子社」の裏手の,やや低い地点にある庵主屋敷と称される土地だとされています。今から見ると極狭い土地ですね。

 藤原定家一行はここを宿所としたようです。定家は,感想として,「この宿所は尋常なり。件の尼,京より参会す。会釈にて相逢い,著袙を給う」と書き記しています。

 なお,尼僧は,当時流行していた寺院などへの落書きを好まず,これまで誰彼となく制止していたようですが,定家はこのことを知らず「南無房堂」にも漢詩1首を書き付けたようです。

 日本民族ってやはりいつの時代も変わらず落書きが好きなんですね。定家はこの後,尼さんに出会った時,どのような顔をしたんでしょうね。定家は,尼さんに会うことを避けてすぐに出かけたのかもしれません・・・・。