「水呑王子社跡」

イメージ 1

 「水呑王子社」(みずのみおうじしゃ)は熊野九十九王子の1つとして知られ,県史跡に指定されています。

 「水呑王子社」の初見は,平安時代中期の増基法師の紀行『いほぬし』で,「御山につくほどに,木のもとごとに手向の神おほかれば,水のみにとまる夜」とある「水のみ」とする説がありますが,これは『中右記』天仁2年(1109)10月23日条に登場する「高原」を過ぎた所にある「水飲借屋」をさしているものと推定されます。

 となると,その初見は,『中右記』天仁2年(1109)10月25日条に登場する「内水飲王子奉幣,新王子」ということになります。

 さらに,『後鳥羽上皇熊野御幸記』建仁元年(1201)10月15日条にも,「内水飲」王子として登場し,正中3年(1326)の『熊野縁起』(仁和寺蔵)でも,「内水飲王子」として出て来ます。なお,『修明門院熊野御幸記』承元4年(1210)5月1日条には「内水飲」(集落か)の名が見え,ここで24代熊野別当湛政法印が小養を儲けたことが書かれています。

 なお,理由は不明ですが,江戸時代に入り,内という字が略され「水飲王子」・「水呑王子」と表記されるようになったようです(『西国三十三所名所図絵』など)。

 しかし,江戸時代中期に廃絶したため,享保7年(1723)7月になり,その跡地に紀州藩徳川宗直が寄進した緑泥片岩製の碑が建てられたことがわかります(『熊野年代記』)。

 ここから「伏拝王子社跡」まで1.9㎞。所要時間は30分かかります。結構ありますね。