「伏拝王子社跡」

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 「伏拝王子社跡」のある「伏拝」(ふしがみ)地域は見晴らしの良い丘の上にあり,辺りには家が散在し,棚田と茶畑・野菜畑などが広がっています。
 ここのお茶は江戸時代から栽培が始まり,明治時代以降,「音無茶」(おとなしちゃ)という名で知られています(2つ目の写真は茶畑です)。

 「伏拝王子社跡」(ふしおがみおうじしゃあと)は地区の外れの,道を少し上がった所に小祠が祀られています。「伏拝王子社」は熊野九十九王子の一つとして知られ,県史跡に指定されています。

 「伏拝王子社」の歴史は案外新しいようで,『国阿上人絵伝』(永和元年〈一三七五〉)に「伏拝」の名前が「和泉式部」と関連して登場し,さらに年月日未詳の「松本源七書状」(『松本家文書』)には「おにかシふしをかミゑひき候」とその名が出てきますが,「伏拝王子」の名前は,江戸時代中期の享保一五年(一七三〇)の『九十九王子記』において,「発心門王子」・「水呑王子」に次いで初めて登場します。

 もっとも,寛永年間(一六二四~一六四四)頃に,殺生禁断碑と榜示石が「伏拝権現」に建立されていることから,その起源はもう少し遡るのかもしれません。

 素晴らしいことは,音無川が熊野川に合流する辺りに大斎原(おおゆのはら)すなわち旧熊野本宮大社跡がここから見えることです。ここはまさに,参詣する人々が伏して拝んだ場所でしょう。
 遠くには,大雲取り・小雲取りの山々が見えます。