「船玉神社」と,湯ノ峰温泉にむかう赤木越道分岐点。

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 熊野川にそそぐ音無川上流部の川岸に,「船玉神社」(ふなたまじんじゃ,1つ目の写真)と「玉姫稲荷神社」(たまひめいなりじんじゃ,新社)が鎮座しています。

 「船玉神社」は,熊野川の河口部・新宮の対岸にある鵜殿の船乗りたちが崇めた海上交通安全を守護する神で,その造営や修理はその船乗りたちが寄進したものといわれています。なぜ,こんな山の中に,と不思議でたまりません。
 例大祭は,5月3日とのことです。

 江戸時代末期から明治時代にかけて「紀伊の国」と呼ばれる端唄が流行しましたが,鵜殿の船乗りたちによってこの山奥の「船玉神社」の名が全国に広められたのでしょう。その中で,「紀伊の国は音無川の水上に,立たせたまふは船玉山船玉十二所大明神,ホホヨー,ハァヨイハァーヨイ」と謡われている「船玉山」は,この付近にあった玉滝山をさしているといわれています。

 現在地の左手を少し上った,藤の木の大木がある小さな丘に,旧社地があったようです。
 また,近くに小さな滝があったようですが,残念ながらそれらしいものは見ることができませんでした。

 また,この付近には,江戸時代に近道を急ぐ多くの旅人が利用した湯ノ峰温泉にむかう赤木越道との分岐点があります(2つ目の写真)。熊野三山へ参詣した後の帰り道として利用されることが多く,江戸時代の『熊野詣紀行』,『熊野めぐり』,『熊野参詣道中日記』などの諸記録に登場しています。