廃村となった道湯川集落の「蛇形地蔵堂」が賑わう時。

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 廃村となった道湯川集落の中を,湯川川が流れています。

 参詣者は,熊野街道(中辺路)を草の茂る石垣と湯川川に沿って南下し(1つ目の写真),途中で左折して橋を渡り,三越峠方面に向かうのが普通ですが,その橋の手前を右に行くとすぐに「蛇形地蔵堂」(じゃがたじぞうどう)に着きます。本当に綺麗に清掃されています。とても廃村の中の御堂とは思われません。

 「蛇形地蔵像」は丸彫りされた結構大きな石像(2つ目の写真)で,その名の起こりは,この仏像が大蛇の鱗に似た,海草の化石といわれる板石を背負うかのように鎮座していることに由来しているそうです。この化石の板石をそのまま動かさずに写真に撮ろうとしましたが,上手くいきませんでした。

 この「蛇形地蔵像」の台石には,正面に「施主平吉 法界万霊 善男女□」,右に「寛政十一三己未七月吉日」,左に「道湯川村中 奉造立右者也 世話人 八百蔵 五兵衛 仁蔵」と銘が刻まれているそうです(熊野中辺路刊行会編『熊野中辺路 歴史と風土』の宇江敏勝さんの文章より)。

 この「蛇形地蔵像」は,元来,岩神峠で病気や飢餓で行き倒れて死亡した人々の霊を鎮め,霊が疲れた旅人たちに「ダル」となって取り憑かないようにするため,寛政11年(1799)に道湯川の村人たちによって岩神峠に建立されました。
 しかし,明治22年の大水害後,下地安二郎氏によってここに移転されたといわれています。

 喘息に霊験があるということから,近年,野中に住む人々が中心になって3月に祭りをおこなうようになりました。祭日(日曜日)には遠くから来た多くの参詣者(200~300人)で賑わうとのことです。

 この日は,廃村となった道湯川が年に一度大きく息をする日でもあります。廃村はここを訪れる人々によって息を吹き返します。