この写真の場所はどこでしょうか。
この写真の場所はどこでしょうか。
おわかりでしょうか。
この写真は,田辺市中辺路町の「熊瀬川王子社跡」から「草鞋峠」(わらじとうげ)に向かい,かなり古そうな石段と石畳が残された「熊瀬川坂」を上がって行く途中で撮りました。
これは,「一里塚跡」(いちりづかあと)です。近くに道標と教育委員会が建てた説明板があります。
江戸時代の林信章著『熊野詣紀行』寛政10年(1798)条に「一里塚,若山より廿八里の塚也」と書かれているものがこれです。
一里塚は,江戸時代初期に紀州藩が一里ごとにつくり,目印として松を植えていたようですが,熊野街道でもこれほどはっきりとしたものはあまり残っていません。しかも,すでに枯れてしまったのか,現在,松の木の痕跡も見当りません。
それにしても一緒に写っている「おじいさん」,格好良いでしょう。
田辺市でカリスマ語り部と呼ばれる本宮のS氏です。田辺市文化財審議委員でもあります。
おわかりでしょうか。
この写真は,田辺市中辺路町の「熊瀬川王子社跡」から「草鞋峠」(わらじとうげ)に向かい,かなり古そうな石段と石畳が残された「熊瀬川坂」を上がって行く途中で撮りました。
これは,「一里塚跡」(いちりづかあと)です。近くに道標と教育委員会が建てた説明板があります。
江戸時代の林信章著『熊野詣紀行』寛政10年(1798)条に「一里塚,若山より廿八里の塚也」と書かれているものがこれです。
一里塚は,江戸時代初期に紀州藩が一里ごとにつくり,目印として松を植えていたようですが,熊野街道でもこれほどはっきりとしたものはあまり残っていません。しかも,すでに枯れてしまったのか,現在,松の木の痕跡も見当りません。
それにしても一緒に写っている「おじいさん」,格好良いでしょう。
田辺市でカリスマ語り部と呼ばれる本宮のS氏です。田辺市文化財審議委員でもあります。