新説・垂迹神降臨場としての乳岩。伝説は何を語るか。

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 静岡県袋井市教育委員会の山本義孝氏によって確認された田辺市中辺路町滝尻の山伏の行場を,昨年の12月に見学しました。

 古記録には全く記されていない「不寝王子社」(ねずおうじしゃ)のすぐ近くに,「乳岩」(ちちいわ)がありますが,この「乳岩」は児玉荘左衛門著『紀南郷導記』に「秀衡が窟」と記されている巨岩の1つです。

 『紀伊国名所図会』(熊野編)には,滝尻王子の項目に,奥州の覇者となる藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の奥方が熊野参詣の途中で産気づき近くの岩屋で男子和泉三郎を産んだが,その時に熊野の神に安産の願をかけたところその通りになったので,お礼のため七堂伽藍を造営し,経典や武具(その中には,平安時代後期の作品で有次の銘を有する国指定の重要文化財の黒漆小太刀もあったものと思われる)を納め,その御堂を秀衡堂と名付けたと書かれています。

 しかし,実は,「乳岩」は別名「亀石」とも呼ばれる磐座(いわくら)の一つで,「窟」状を呈しています。
 一つ目の写真は山本氏提供の,「乳岩」を上から撮った写真で,垂迹神が降臨して来る尖がった岩を写したものです。
 二つ目の写真は山本氏提供の,「窟」内に据えられた垂迹神の依り代となる標石(左側)を撮った写真です。つまり,ここは山伏が神降ろしをする修行の場所でもあったわけです。

 近くにはまだ経塚(きょうづか)がたくさん眠っているはずです。

 山本義孝さん,ご指導,ありがとうございました。