「旧南部町」歴史雑感

「美奈倍」の道祖神

南部海岸で夕陽を見ているうちにある話を思い出しました。 11世紀中頃,『大日本法華経験記』所収の「紀伊国美奈倍道祖神」の説話である。『大日本法華経験記』が成立した時期は,長久4年(1043)または5年(1044)とされているので,ここに収録された説話は…

縄文時代の和歌山県「旧南部町」歴史雑感 №Ⅰ

①,縄文時代以前の南部 縄文時代以前の時代(一万二〇〇〇年前以前)は,日本では一般的に先土器時代(この先土器時代という呼称は,あくまでも日本でだけの呼び方であり,世界考古学では,この時代のことを旧石器時代・新石器時代)とよんでいる。 しかし,現在…

平安時代の和歌山県「旧南部町」歴史雑感 №Ⅲ

③,「美奈倍」の道祖神 一一世紀中頃の南部のことが説話という形で出てくるのが,『大日本法華経験記』所収の「紀伊国美奈倍道祖神」の説話である。『大日本法華経験記』が成立した時期は,長久四年(一〇四三)または五年(一〇四四)とされているので,ここに…

平安時代の和歌山県「旧南部町」歴史雑感 №Ⅴ

⑤,『中右記』記載の「南部庄」と「亥の野」 『大御記』や憲淳僧正の日記に続いて,一二世紀初期の南部のことを記した史料に,権中納言藤原宗忠が二人の息子を伴って念願の熊野三山(本宮,新宮,那智)へ初参詣した時のことを記した『中右記』天仁二年(一一〇…

平安時代の和歌山県「旧南部町」歴史雑感 №Ⅵ

⑥,『長秋記』と『吉記』記載の南部 『いほぬし』・『大御記』・『中右記』などに続いて,一二世紀の南部のことを書いた史料として,源師時の『長秋記』と吉田経房の『吉記』をあげることができる。 『長秋記』の長承三年(一一三四)正月一三日~二月一四日条…

飛鳥・奈良時代の和歌山県「旧南部町」歴史雑感 №Ⅲ

③,南部郷の条里制と景観 条里制とは、古代の律令制府の指令によって碁盤目状に区画された画一的な土地地割のことである。当時の政府は、土地制度である班田収受制度にもとづき農民への土地分与ならびに収公、さらに課税などを円滑におこなうため、その耕地…

平安時代の和歌山県「旧南部町」歴史雑感 №Ⅶ

⑦,五辻斎院領の「相楽庄」と「南部庄」 安元年間(一一七五~一一七七),長日不断の談義所及び鳥羽法皇らの菩提を弔う所として,西行法師の奉行により高野山に蓮華乗院が創建された。蓮華乗院を創建したのは鳥羽法皇と閑院家出身の春日局との間に生まれた五…

平安時代の和歌山県「旧南部町」歴史雑感 №Ⅳ

④,『大御記』と「熊野本宮古記」記載の南部 一一世紀末期の旧南部町のことを書いた文献に,藤原為房の日記『大御記』(「為房卿記」ともいう)と「熊野本宮古記」(「憲淳僧正熊野入堂記」「熊野山入堂」ともいう)がある。京都大学文学部国史研究室所蔵の為房…

平安時代の和歌山県「旧南部町」歴史雑感 №Ⅱ

②,花山法皇と千里ノ浜 一〇世紀末期の南部のことを記載した文献として『栄花物語』『大鏡』『宝物集』『後拾遺和歌集』などがある。これらはいずれも,藤原兼家らの計略によって若くして出家させられた花山法皇が熊野参詣からの帰途,南部町内の「千里ノ浜…

平安時代の和歌山県「旧南部町」歴史雑感 №Ⅰ

①,『いほぬし』に記載された南部 平安時代も一〇世紀に入り熊野参詣が始まると、熊野への旅の途中で南部に立ち寄った人々の南部に関する記録が散見されるようになる。 一〇世紀中頃の南部のことを書いた文献の一つに、比叡山僧で中古三六歌仙の一人とよばれ…