縄文時代の和歌山県「旧南部町」歴史雑感 №Ⅰ

①,縄文時代以前の南部

縄文時代以前の時代(一万二〇〇〇年前以前)は,日本では一般的に先土器時代(この先土器時代という呼称は,あくまでも日本でだけの呼び方であり,世界考古学では,この時代のことを旧石器時代新石器時代)とよんでいる。
しかし,現在と違って,当時の日本はかなり寒冷な気候の下にあった。当時の平均気温は,現在よりも約七度から八度低かった。そのため,当時の海水面は今よりかなり低いところにあり,私達の住む紀伊半島は現在の淀川に繋がる幻の大河を挟んで四国島と陸続きになっていたようである。
現在のところ,この時代の遺物は旧南部町域で発見されていないが,紀南地方では,御坊市の壁川崎遺跡・尾ノ崎遺跡などや田辺市の稲成地区遺跡などでこの時代の遺物である剥片石器などが発見されているので,将来,南部でもこの時代の遺物が発見され,落葉広葉樹林や針葉樹林に囲まれた当時の南部やそこに住んでいた人々の姿が明らかにされる日がくるかもしれない。

以上、『南部町史 第二巻・通史編』(南部町、1993年)より。引用掲載感謝します。