「熊野の御師」研究其4
康応二年(一三九0)二月二二日付けの「丹波国春日井庄玉泉坊引檀那願文」(『熊野本宮大社文書』42号〈『和歌山県史 中世史料二』所収〉)に,本宮御師として「しきやのきしとの」(「敷屋の岸殿」)が登場している。
たんはのくにひかミのかうりかすかいしやうちう
棚原きたやま ミわとの
しやうかん ほうし
しやうけん つしの坊(花押)
くろい
さいちやう(花押) 中村十郎大夫(花押)
くろい
しやうし(花押) 棚原さこ(略押)
しやうせん(花押)
せんたち玉泉坊(花押)
かうおうにねん二月廿二日
ほんくうのおししきやのきしとの,
康応二年(一三九0)二月晦日付けの「丹波国氷上郡先達并檀那交名注文」(「新出熊野本宮大社文書」32号〈『山岳修験』九号所収〉) に,本宮御師として「しきやのきしとの」(「敷屋の岸殿」)が登場している。
丹波国水上郡沼貫庄内山常楽寺
先達并檀那等事
先達僧慶尊北坊性円(略押)
一檀方
朝坂奥源景持(花押) 沙弥覚珍(花押)
沙弥覚玄(略押) 大夫(略押)
形部
由利村
官斎(略押) 別当(略押) 検校(略押)
馬太郎(略押)
右,先達檀那者於熊野山本宮しきやのきしとのの御だんなたるへく候,仍為後,状如件
康応二年二月晦日
明徳四年(一三九三)二月二二日付けの「丹波国石龕寺乗算引檀那願文」(『熊野本宮大社文書』44号〈『和歌山県史 中世史料二』所収〉)に,本宮御師として「しきやのきしとの」(「敷屋の岸殿」)が登場している。
丹波国氷上郡石龕寺
先立乗泉坊
性智 祐賢
全阿 形部
治部 木性
明徳二二年二月廿二日
本宮御師しきやのきし殿
先立乗筭(花押)
明徳四年(一三九三)二月二三日付けの「丹波国石龕寺慶有引檀那願文」(『熊野本宮大社文書』45号〈『和歌山県史 中世史料二』所収〉)に,本宮御師として「しきやのきしとの」(「敷屋の岸殿」)が登場している。
丹波国氷上郡石龕寺
先立実行坊
栗作 村森 同村
衛門せう 覚行 覚恵
村森 栗作 村森
藤内大夫 右近四郎(略押) 宗阿
明徳二二年二月廿三日
本宮御師しきやのきし殿
実行坊慶有(花押)
たんはのくにひかミのかうりかすかいしやうちう
棚原きたやま ミわとの
しやうかん ほうし
しやうけん つしの坊(花押)
くろい
さいちやう(花押) 中村十郎大夫(花押)
くろい
しやうし(花押) 棚原さこ(略押)
しやうせん(花押)
せんたち玉泉坊(花押)
かうおうにねん二月廿二日
ほんくうのおししきやのきしとの,
康応二年(一三九0)二月晦日付けの「丹波国氷上郡先達并檀那交名注文」(「新出熊野本宮大社文書」32号〈『山岳修験』九号所収〉) に,本宮御師として「しきやのきしとの」(「敷屋の岸殿」)が登場している。
丹波国水上郡沼貫庄内山常楽寺
先達并檀那等事
先達僧慶尊北坊性円(略押)
一檀方
朝坂奥源景持(花押) 沙弥覚珍(花押)
沙弥覚玄(略押) 大夫(略押)
形部
由利村
官斎(略押) 別当(略押) 検校(略押)
馬太郎(略押)
右,先達檀那者於熊野山本宮しきやのきしとのの御だんなたるへく候,仍為後,状如件
康応二年二月晦日
明徳四年(一三九三)二月二二日付けの「丹波国石龕寺乗算引檀那願文」(『熊野本宮大社文書』44号〈『和歌山県史 中世史料二』所収〉)に,本宮御師として「しきやのきしとの」(「敷屋の岸殿」)が登場している。
丹波国氷上郡石龕寺
先立乗泉坊
性智 祐賢
全阿 形部
治部 木性
明徳二二年二月廿二日
本宮御師しきやのきし殿
先立乗筭(花押)
明徳四年(一三九三)二月二三日付けの「丹波国石龕寺慶有引檀那願文」(『熊野本宮大社文書』45号〈『和歌山県史 中世史料二』所収〉)に,本宮御師として「しきやのきしとの」(「敷屋の岸殿」)が登場している。
丹波国氷上郡石龕寺
先立実行坊
栗作 村森 同村
衛門せう 覚行 覚恵
村森 栗作 村森
藤内大夫 右近四郎(略押) 宗阿
明徳二二年二月廿三日
本宮御師しきやのきし殿
実行坊慶有(花押)