「熊野の御師」研究其1

最近,「熊野の御師」に興味をもち,取り敢えず熊野本宮領であった紀伊国敷屋庄内在住の御師について古文書やかつての居住地などについて調査・研究しています。
現在わかっている限りでは,かつての敷屋庄の所在地は,旧熊野川町,現在の新宮市東敷屋・西敷屋を中心にして相須,宮井,御本方面にまで広がっていたようです。
現在わかっている当地在住の御師は,敷屋庄司氏,見座氏,宇井氏,鳥居氏などで,見座氏,宇井氏については現在でも西敷屋にその御子孫の居住が確認されています。東敷屋の敷屋庄司氏は,奈良県十津川村の小山手に移住したようです。
ところが,調査していくうちに,熊野本宮関係文書で,『日本刀剣全史』に翻刻されているものの,原文書が未発見,少なくとも私が現物を見ていない物がたくさんあることがわかってきました。
現在,それらの文書を探索していますが,仕事が忙しく自由に調べ歩くことのできないもどかしさを感じています。
それにしても,「熊野の御師」の足跡をたどることはむつかしいですね,廃業し消息不明になっている家が多いだけに・・・・。