周参見持宝寺裏山の神田城へ。№①
持宝寺の裏山、通称神田山(標高80m)には中世の山城・神田城跡があります。
神田城は、「神田家略系」によれば、永禄12年(1569)に宇都宮道直なる人物が築城したと伝えられています。他に記録はありません。
この城跡を調査し下の縄張図を描いたS市教委の堀口健弐氏によると、主郭(Ⅰ郭)で採集された15世紀後半~16世紀初頭の備前焼の擂鉢や甕の破片から戦国時代前期という年代が割り出されていますが、最近確認された、図面の左側にある16世紀中葉以降の畝状空堀群(9条)の存在やその北にある横堀の存在から16世紀後葉以降のものと見る向きもあることが指摘されています。これらについては後程、№②の写真で紹介します。
白石さんが先行する形で墓地や神社を通り抜け神田城跡に上りました。ここからが城跡です。
緩斜面に設けられた最初の堀切(東に向かって写真撮影)です。(↓)
ここには土橋が構築されています。(↓) ここから入城。
北側に設置された堀切は3条。これは2つ目の堀切です。東向きに写真撮影。
縄張りの構造は、稜線から尾根の頂点にかけてⅡ郭・Ⅰ郭(主郭)の曲輪を直線に並べる二郭構造です。中山城も同構造。
ここがⅡ郭です。やや暗くて見にくいでしょうが、曲輪の真ん中にⅡ郭からⅠ郭(主郭)に向かう新しく作られた階段が見えます。(↓) 東西30m×南北45m。
Ⅱ郭にある南の階段付近から北側の入口(虎口)近辺を見ますと、周囲に土塁が張り巡らされているのがわかります。(↓)
Ⅰ郭(主郭)に入りますと、すぐ左手に西向きに建立された「神田城址」の石碑が見えます。(↓)
ここがⅠ郭(主郭)です。(↓) 少し見難いでしょうが、正面に神を祀る小祠が壊れた状態で放置されています。東西20m×南北50m。
これがⅠ郭(主郭)の中に残された石積みの土塁です。
【②に続く】