周参見の城郭、まずは中山城から


 2月4日、周参見川の右岸にある周参見(すさみ)の歴史民俗資料館周参見王子神社前で、和歌山城郭調査研究会代表の白石氏と待ち合わせをしました。
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 まずはこの裏山、通称大日山(標高61m)にある周参見中山城跡へ。
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 中山城は中世に周参見下流域を支配した周参見氏の持ち城で、城主は周参見太郎と伝承されています。近世の記録である『安宅一乱記』には、享禄3年(1530)に安宅・周参見内乱が起こり中山城が一族の周参見兵衛によって攻められ一時そこを占領されていたと記載されています。

 下の図は、堀口健弐氏作成の縄張図です。
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 新しく作られた避難路をひたすら上に登る。
 斜面を切り込んだ曲輪(堀口氏図ではⅡ郭と呼ばれているが、まあ全体構想から敢えていえばⅢ郭か)の入り口に到着。今はこんな状態だか、少しは綺麗に見せるようにしておいて欲しいなあ。
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 上から見るとこうなる。手前が曲輪。
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 Ⅰ郭は主郭で、城主などがいた場所。ここは東西20m、南北8mの曲輪で結構広々としています。正面に近年建立された祠が見えています。
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 両側(左、右)に土塁がある。
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 祠の中をのぞくと金色の何かが見えます。新しいものだと思いますが、大日の象徴か。
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 この背後の土塁の後ろを下った場所に堀切(空堀があったはずですが、はっきりしません。
 しかも元の曲輪(本来のⅡ郭)のあった場所は発掘調査もなしに現在大きく削平され、その上に上水道施設が建てられているためこれも現状でははっきりしません。残念としかいいようがないですが、『すさみ町誌』上巻の286頁の簡略された図でそれを偲ぶしか仕方なさそうです。

 私達は新しく作られた車道から再び尾根に上り、途中で2か所の墓所を辿り城を下りました(↓)墓所の石塔の中には近世のもの以外に中世末~近世初期にかけての石塔(五輪塔・宝篋印塔など)もありますので特に注目
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 まずはここまで。