和歌山県串本町潮岬のあれこれと新生代第三紀中新世の火成岩体


 7月22日づけの記事の続きを書きます。
 
 前回は串本町内でも主に大島に関するジオサイトを紹介しましたが、今回は潮岬のそれを紹介します。

 参考までに前回と同じ地図をあげておきます。

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 この写真は有名な本州島最南端の潮岬灯台の写真です。明治3(1870)年に建てられました。ここへは遠足や家族で白浜からよく来ました。懐かしい所です。

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 潮御崎神社(祭神 ・少彦名命)の鳥居です。潮御崎神社は以前、現在の潮岬灯台の場所にありました。

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 今回、神社へはお参りせず、鳥居の左下の小道を下って海岸へ。

 ジオサイトの1つとして玄武岩質溶岩を見学。潮岬の枕状溶岩などについて仲江さんから丁寧に説明を受けました。下の写真4枚をご覧ください。↓
 さて、枕状溶岩はどれでしょうか。

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 ところで、これは何だと思いますか。↓

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 これは太平洋戦争中にアメリカ空軍の機銃掃射を受けた弾丸の痕です。
 この壁は、見張りのためにつくられた当時の建物の壁です。それにしてもその痕がよく残っていたものですね。まあ、残そうと考えた先人が居たればこそ残ったのでしょうが。

 かつて私の母も勤務していた田辺市内で被弾したと祖母から聞かされましたが、もしあの時、母が死んでおったら今の私はなかったわけで、考えるとゾッとします(汗)。

 仲江さん、ご案内ありがとうございました。