新生代第三紀中新世の火成岩体(和歌山県串本町大島)
まず、中屋志津男「紀伊半島の地質 6 中新世の火成岩類」(『アーバンクボタ』38号、1999年)掲載の下の「潮岬 ・大島の地質図」をご覧になり、おおよその地形 ・地質を理解してください。
地図の上に見える「橋杭岩」は有名ですね。熊野酸性岩類岩脈(1500万年前に紀伊半島南部にあった巨大カルデラからマグマが流れ出してできた岩脈)と呼ばれるもので、主にサニデン石英斑岩(花崗斑岩)からできています。下の写真はその一部で、背後に大島が見えます。
天気の好い日、海底に目視できる橋杭岩の岩脈は、大島湾頭の小島(権現島)につながっているようです。
この他にも色々と説明を受けたのですが、細部はあまりよく覚えていません(笑)。
なお、下の写真に見られる手前の灰色の地面は、火成活動が盛んであった頃の地層・熊野層群(約1700万年前形成か)と呼ばれる中新世の堆積地層です。
次に、紀伊大島の須江地区にあるジオの名所「地獄の釜」を紹介します。
満潮の時に海と繋がった下の穴から入ることができますが、ボートがないと出入りは困難です。
まあ、この崖をロープで降りてみようという勇気ある人ならばここからも可能なので、どうぞ・・・・。私は遠慮しておきますが(笑)。
最後は、「須江の海岸」です。やはり全体が流紋岩質火砕岩からできています。向うの海は太平洋です。この先にはたくさんの活断層があり、M8以上の巨大地震を引き起こすといわれている南海トラフ(南海舟状海盆)は80㎞ほど南にあります。
静かなように見えて恐い怖い海であり、豊饒の海でもあります。
ここから西側に、同じ流紋岩質火砕岩からできている通夜島が見えます。
大島出身の叔父が健在だった頃、よくボートで通夜島(大島本島以外では一番大きな島)に連れて行ってもらいました。
東側の須江崎を越していくと須江湾と港が見えますが、今回はそこまで行きませんでした。下の写真に白い石英か長石の流れたような痕跡が見えますね。これもこの流紋岩質火砕岩体の見所の1つです。淘汰不良の凝灰角礫岩と結晶凝灰岩の互層からできています。
この流紋岩質火砕岩体を貫くシソ輝石流紋岩体については、須江地区の西側にある大島地区(苗我島に露出。マイブログ・2011年2月13日付けの「串本町の苗我島」を参照)や東側にある樫野地区(鷹ノ巣や海金剛はその代表的例)に見られますし、熊野層群については、大島地区の北に少しあります。その代表的な事例が鉱山があった金山すなわち戸島崎です。ここも海側の崖が凄くて恐いですよ(笑)。
今回は、これらの場所には行きませんでした。でも、大島を知る人間にとってジオサイトはまだあちこちにありますので、ボチボチと紹介していきます。
まあ、今日はこれくらいにしておきましょう。