第34回日本山岳修験学会太宰府・宝満山学術大会の3日目 №②

 
 前回の宝満山登山の続きです。このように硬く不規則に置かれた石段をひたすら登ります。
 
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 2合目にある「一の鳥居」に着きました。この花崗岩製の巨大な明神鳥居は、延宝7(1678)年に福岡藩3代藩主・黒田光之が寄進したものです。ここから当面の目的地である中宮跡まで距離にして2.㎞強、標高差500m弱。
 
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 3合目の休堂跡で休憩。 ここから先が国史跡の西院谷地区です。
 
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 ここから先の正面登拝道はこれまでと同様、自然石を使った石段がくねくねと曲がりながら中宮まで続いていました。途中、ロープを伝って登る危険な所もありました。
 
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 途中から見晴らしがよくなってきました。登拝道の途中で禁断殺生碑の傍を通った筈ですが、一行から遅れたために説明を聞き損ない、見落としてしまいました。
 
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  6合目の「吉祥坊吉田屋敷跡」を過ぎたあたりに「百段がんぎ」と呼ばれる直線に長く続く石段がありました。石段は、これまでの石段と違ってわりかしきちんと整えられていましたので、それほど気を遣わなくてすみそうでした。
 
 「この石段を登り切ると休憩だ」、「頑張れ自分」と心に言い聞かせつつ、前を行く行者さんに貸していただいた錫杖を頼りに必死に登りました。勘定したところきっちり百段ありました。
 
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 鎌倉時代末期、修験の中心道場として整備された、7合目の中宮跡に到着しました。
 かつてここには、大講堂・神楽堂三宝荒神堂・鐘楼・祇園宮などが建ち並んでいたようです。
 
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 法螺の音と共に祈りが捧げられました。
 
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 すぐ近くにある「梵字岩」を見学。この「梵字岩」には、「文保二年」(1318)の銘とともに、直径58㎝の月輪(がちりん)に五転具足の両界の大日如来の種字が彫られているそうです。
 この巨岩の前に、かつて役行者堂が建っていたと云われています。
 
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<さらに次に続く>