第34回日本山岳修験学会太宰府・宝満山学術大会の3日目 №③..
宝満山登山もこの後、いよいよクライマックスを迎えました。
前を行く人達に必死に追い付こうと石段を登り続けるうちに、ついに上宮のある宝満山山頂(標高・約830m)に到着。
私がやっとのことで辿り着いた上宮では行者達による修験の儀式が始まろうとしていました。
山頂は、思ったよりも広く、まわりは礼拝石、稚児落としなどと呼ばれる巨岩で覆われていました。
祭祀遺跡は山頂の南に位置し、その東側が岩壁の崖になっており、そこから神々への捧げ物が発見されています。しかも、さらにこの崖を10mほど下った祭祀遺跡から、奈良時代から平安時代にかけての土師器や須惠器、さらには奈良三彩、古銭などが発見されているそうです。
読経の響く中、私は崖に接近。ここが、私が行けるぎりぎりの崖場。このまま進むとあの世行き・・・・(恐わ)。
でも、この行者さんは平気。余裕綽々といったところか。
そして、この人も平気そう(恐わ)。
ぼんやりと霞む山の彼方に修験の山として名高い彦山(ひこさん、標高・約1200m)が見えている筈なのですが、見えますか。
ここが、上宮から降りて行く際、通らなければならない有名な難所です。行者たちはこの岩崖をロッククライミングするかのように鉄の鎖を持って滑り降りて行きました。
若い頃の私ならすぐさま後を追い掛けたのですが・・・・(苦笑)。
私達はそのすぐ右横に設けられた急な階段をそろそろと下って行きました。
降りた所で後ろを見上げると、まあ、恐いけれど快感とは、このことをいうのでしょうか。
<またまた次に続く>