「熊野別当」についての私見
木曽福島の紅葉です。
熊野別当の来歴記録として,初代別当の「快慶」以来,31代の別当の名前と就任年及びその年数,各々の繋がりなどを記した「熊野別当代々次第」と,別当「長真」から別当「定遍」(40代)までの9名の別当の名前を追記した「二中歴」や「熊野別当系図」などがあります。しかし,それらの記録はかなりの信憑性をもつ文献であるとはいえ,記載された内容をそのまま歴史的事実として完全に信用することはできません。
承保2年(1075)に別当に補任された「長快」(15代)は,寛治4年(1090)に,白河上皇の熊野参詣の際の功によって熊野の社僧として初めて法橋の位を与えられ,僧綱に列し、法眼をへて法印まで昇り詰めました。