「熊野三山検校」についての私見
「熊野三山検校職は、寛治四年(1090),熊野参詣が隆盛になったため,地方霊場としての熊野三山を組織的に管理する必要性から,在地で行政上の実権を握っていた熊野別当の上に白河法皇によって新設されました。この結果,熊野三山は中央寺社勢力の秩序に組み込まれました。
初代検校には法皇の先達を務めた増誉が任命され,それ以降,検校は行尊,覚宗などの寺門派の園城寺長吏がその職を兼務する権威ある職掌になりました。しかし,その本務は歴代上皇が熊野参詣する際に先達を務め,上皇に対し熊野参詣の際の指導をおこなうことであり,三山支配の実務からいうと名誉職的傾向が濃厚でした。