安宅入道冬康の書体

イメージ 1

 ずっと前に、昔から楽しんでいた『百人一首』の女流歌人たちの和歌を書いたもの(25枚のうちの1枚でしょう)をオークションで手に入れました。

 №57から№60までのお馴染みの4人(紫式部、大貮三位、赤染衛門、小式部内侍)の和歌を書き抜いたものです。
 しかし、ここでは、№57から№59までの3人の和歌だけを取り上げました。

 「めくりあひ ミ志やそ連ともわかぬま尓 雲かく連にし 夜半乃月か菜」
 「あり間山 ゐな乃笹原風ふけは いてそよ人を わす連やハする」
 「やすらはて 祢なまし物をさ夜更けて かたふくまての月を見しか那」

 この作者は、江戸時代の極め札によると、和歌山県の現白浜町日置(旧日置川町)とも関係のある戦国時代の武将・安宅入道冬康(1528~1564)だそうです。

 ご存知のように、安宅入道冬康は、室町将軍家の管領細川氏につかえた戦国時代の武将・三好長慶の弟で、後に紀伊国安宅庄(日置川下流域)を本拠とする淡路島の安宅氏の養子となり、兄を助けて安宅水軍を率い大いに活躍しましたが、長慶の家臣・松永久秀の陰謀により、長慶の居城・飯盛山城で自害させられました。

 冬康は穏健かつ心優しい性格で、和歌や書に優れた武将であり、数々の和歌を後世に残していますが、書はあまり伝わっておらず、ある旧家に骨太な書があるだけです。

 それゆえ、この書が冬康のものかどうか、私にはよくわかりませんが、紀州ゆかりの武将の書として保存に努めています。誰かわかる人がいれば教えて下さい。