蛇腹道と「壇上伽藍」の建造物 №①

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 金剛峰寺から「蛇腹道」(写真①・写真②)をまっすぐ行きますと、「壇上伽藍」に着きます。紅葉が非常に綺麗ですね。

 空海によって創建された諸堂が集まっている所を「壇上伽藍」といいます。まず、「壇上伽藍」下段の建造物を紹介します。

 写真③ 東端の東塔から大会堂をへて一番向こうに、上段にそそり立つ根本大塔が見えます。

 写真④ 西南から撮った「東塔」です。元の塔は、大冶2年(1127)に建てられましたが、5度火事にあい焼失してしまいました。
 現在の東塔は、1984年に多宝塔として再建されました。

 写真⑤ 東南から撮った「三昧堂」です。三昧堂は、もともと東南院と称し、本中院谷にありましたが、12世紀中頃にここに移築されたそうです。数度の焼失をへて、1848年に桧皮葺の建造物として再建されました。
 左端に西行がこの堂の近くで修行したとの伝えに基づいて植えられた有名な「西行桜」が見えています。

 写真⑥ 「大会堂」です。この大会堂は、別名「蓮華乗院」とよばれ、法幢院谷にありましたが、1177年に西行によってここに移築されたそうです。かつて「蓮華乗院」が荘園領主として、私が住んでいる紀伊国南部庄を支配していたこともありました。
 現在の大会堂は、1848年に桧皮葺の建造物として再建されました。

 写真⑦ 「愛染堂」です。元の愛染堂は、建武元年(1334t)に建てられましたが、火事にあい焼失してしまいました。
 現在のお堂は、1848に再建されました。

 写真⑧ 国宝の「不動堂」です。不動堂は、高野山に現存する建造物では最も古いもので、建久9年(1198)に行勝上人によって「一心院」として一心院谷に建立されましたが、最近のN氏らの調査によりますと、14世紀初頭に同所において再建されたことがわかってきました。
 なお、この建物は、1908年に解体修理され、現在地に移築されました。
 東北の隅から写真を撮りました。

 写真⑨ 不動堂の本尊・不動明王坐像(国重文)です。平安時代後期に制作されました。
 一昨日、御覧いただいた有名な運慶作の八大童子立像(国宝)の1つである制多伽童子像も、本尊・不動明王坐像の脇侍としてここに祀られていました。八大童子立像は、鳥羽上皇の皇女・八條女院によって寄進されたものです。