熊野那智大社蔵「内侍尚侍藤原氏寄進状」(重要文化財)のこと。

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 熊野那智大社文書(重要文化財)のうち最古の文書(もんじょ)といわれている熊野那智大社蔵「内侍尚侍藤原氏寄進状」を紹介します。

 これは,内侍尚侍藤原氏相伝してきた紀伊国有田郡比呂庄(ひろのしょう)・宮前庄(みやざきのしょう)の免田各一三町五段を,応徳三年(1086)に熊野山に寄進した際の寄進状です。

 比呂庄は広庄ともいわれた現在の和歌山県広川町広川地区付近にあった古代・中世の庄園です。宮前庄は現在の和歌山県有田市宮崎地区付近にあった古代・中世の庄園です。

 内侍尚侍藤原氏は,関白太政大臣藤原教通女で後朱雀天皇の女御であった藤原真子のことを指していると見られています。

 この史料は,その文面から那智山を観音浄土と認識する考え方が,11世紀後半に中央貴族の間にすでに浸透していたことをう覗わせる史料として評価されています。

 応徳三年に院政を始めた白河上皇は,4年後の寛治四年(1090)に初めて熊野参詣を行いましたが,当時の政界全体に熊野三山参詣への雰囲気が形成されつつあったことが分かります。

 なお,この文書には女性のものと推定される赤い手形が押されています。この手形は,その内容を保障する形で神に誓って押されたものでしょうね。

 記載にあたって『熊野三山の至宝』(和歌山県立博物館,2009)を参考にさせていただきました。